六本木DISCOを学んでみよう! | 『六本木フェローズやってる!?』

『六本木フェローズやってる!?』

放送作家のだいもん孝之と申します。
おととい、”ギャルママ評論家”と呼ばれました・(謎)
最近、一人では六本木の平和を守ることは無理だということに
気づきました。うちのタレントさんにちょっかいを出すことは
おやめ下さい!ペコ

新宿・渋谷には、今のクラブのようにお子ちゃまでも入れる

DISCOがたくさんありました。やはり、当時の遊び人の

目指すは港区でした! 


【 六本木:SOGNO-A 】

やっぱり新宿・渋谷・池袋等のJR駅系繁華街にはない、

異様な大人の世界がここにはあります。 「SOGNO-A」

は六本木ならではのハイセンスなイタリアン直輸入インテ

リアに、すご~いレーザー光線!未来的な箱でした。

箱は小さかったです。しかし、やっぱりドレスアップした大人

が集まっていました。それも1人で遊びにくるタイプの箱で、

けして大げさには踊らず、軽くステップ踏む程度の「大人さ」

がありありでした。



【 六本木:THE REGENCY 】

「THE REGENCY」は、「六本木ROAビル」の最上階に

ありました。3面ガラス張りで、高層ビルが少ない六本木の

夜景が一望でき、ロケーションは抜群でした。

ここは、当時新宿にあった「NEW YORK NEW YORK」や

「ZENON」の系列だったため、ノリは、六本木にいて新宿が

味わえる箱でした。六本木にしては大箱でした。



【 六本木:AREA 】

パチンコの「日拓グループ」のフラッグシップDISCOTHIQEで、

MAHARAJAやKing&Queenの「NOVA21グループ」同様、

ハイソサエティを前面に出した、店が客を選ぶ系のタカビー

DISCOTHIQEの走りでした。同系列で同じ日拓ビルにある

「CIPANGO」も同様、ドレスコード(ここが最初に始めたんです!)

が厳しく、入り口の前では黒服による服装チェック(店にふさわしい

ドレスアップした服装でないと入れない)と、男のみの入場の禁止

(ナンパ防止)という2つの大きな壁がありました。彼女がいないと

簡単に門前払いを食らいました。それでも外で女の子をナンパ

して何度もチャレンジする恥知らずも登場していました。

ここはすごいです。ジュリアナが出てくるまでは、ゴージャスの

極みでした。金の内装に2層吹き抜けの高い天上、回転する

巨大な照明。当時最先端だった「バリーライト」が所狭しと

おかれていました。四方八方から身に突き刺さるレーザー光線。

食事にも力を入れ、当時ビュッフェスタイルだった業界には珍しく

オーダー式でした。



【 麻布十番:MAHARAJA東京本店 】

全国にDISCOTHIQEを展開していたカリスマ、「成田勝」率いる

NOVA21グループのフラッグシップです。DISCOに興味がない

人でも当時は知っていた程有名でしたよね。小綺麗な格好をした

多くの男女たちが、緊張のため顔をこわばらせ、六本木駅から

芋洗い坂を下りながら、だんだん緊張感を高めてお店のフロント

に向かったそうです。前出の六本木AREA同様ゴージャス系で、

店が客を選ぶ系のタカビーDISCOTHIQEでした。

芸能人は、奥のVIPルームにフルーツ盛り合わせと共に陣取り、

一般人と違うのよ!ぶりを発揮していました。独特の盛り上げ方

があり、黒服は「お~~ぇぃ!」という日本語とは思えない大きな

かけ声で叫びお立ち台の女達をもり立てます。さらにDJはかけ

声等のサンプリングボイスをサンプリングシンセで連打し、サビ

にはお約束のサイレンでたたみかけました。当時、六本木4丁目

には姉妹店の「MAHARAJA WEST」が存在していたため、

こちらは「十番マハラジャ」とか「本店」と呼ばれていました。

ジュリアナが開店すると、残念ながら閑古鳥状態になり、六本木

AREAとほぼ同じくして歴史に幕を閉じました。