今年は自然災害やら、悪いニュースを見ていると”浄化”という言葉が浮かんでくる。
特に後方の悪いニュースという意味での浄化を見るたびに、ドラマ”家政夫のミタゾノ”を見ているような、強烈な天罰が下りてるように感じてならない。(このドラマは最後に何かに気が付いて、軌道修正をしていこうというオチがあるように思える)
悪いことは必ず何らかの形で天罰が下る。そしてこれでもかって位に大きな膿を出すかの如く、他の人達からの証言等が出てくることで、更なる天罰が待っている。包み隠すことの出来ない状態にまでなる。
日頃の行いが非常に悪すぎるから、これは仕方がないことである。同情の余地もない。せやけど、この行いが本当に悪かったといことに、心の底から反省し、気付き軌道修正が出来るように努力すれば、人は許されるのだろうか。
例えば神戸の小学校の教師のいじめに関して、少し触れさせていただくが、いじめと言ってるけど、違うでしょ、犯罪ですよね?(暴行、恐喝、いやがらせ、器物損壊)
何が良くて悪いのかという区別が全く加害者はわかってらっしゃらないようで、世間を知らなさすぎる、幼稚すぎると、言いたいことはいっぱいあるけども、本当に残念過ぎてならない。被害者の気持ちなんて全くわかるはずもないし、幸いにも自ら命を絶つ行為にまで発展してないけど、仮にそうなったら、加害者は何も感じることなく、次のターゲットを狙っては楽しむのでしょうかね。
あの謝罪文、保護者の方だけでなく、世間はどう感じているでしょうか。大ブーイングが起きているようだ。
私個人的に思ってることは、ずっと軌道修正が出来てないから、今回マスコミに公となったことで強烈な天罰が下ったわけでしょ。被害者の痛みを思う存分知りなさいと愛のある天罰だなと思えるけど、加害者本人は心の底から反省されてる印象は、残念ながらないなと、謝罪内容を聞いてて感じております。
こんな行為の話を聞くと本当にうんざりやし、何もされてないけれど周囲から見てる立場の方は、その空間にいてたことで相当良い気分ではなかったと思いますしね。この事件、今後どのようになっていくのかが、気になるところである。
そして、今回の件で、被害者だけでなく、加害者を出すような環境を作らないという事も、大きな課題でしょうな。
おまけ:同級生から加害者の人物像の話を聞いてて思えたこと。いじめる奴って、上に取り繕うようなタイプが本当に圧倒的に多いですね。取り繕われてる側からすれば、アンタの人間性、バレてるで。知らないふりしてると思いますわ。