(11)からの続きです。

倒れてから4日目(15日)にこんな事がありました。

元気な時は補聴器着けていたので面会に行った時は着けてあげて話し掛けているんです。

そこで左耳の方が上手く装着出来てなかったみたいで本人の左手が動いて、

ちゃんと着けたのにはビックリしました。

また、問いかけする時手を握ってするんですが偶然にならない様にして質問を二つしたら、

ちゃんと手を握ってくれたし視線は私の顔を見ていて私は嬉しくて涙が止まりませんでした。

そうそう、面会に行くとまずは左手に着けてある「ミトン」を外してあげます。

とっても可哀想なんです。。。

そしてこの先母は良くなる事はなく普通だったらリハビリ病院に入院し、

その後退院し自宅に帰るが普通の流れでリハビリ病院で良くならない、

または自宅に帰っても生活が難しい場合などは療養型病院に入院します。

療養型とは看取りの病院になるんです。

いずれ誰もが入るかも知れない病院になるかもです。

自宅で介護してくれる方がいれば入る事はないと思います。

そして先生は療養型病院を勧められるんです!

それはリハビリ病院に入院しても良くなる事はないからだそうです。

それを聴いてショックでした。。。

それにまだ一週間も経過してないのに…。

で、佐伯区内にある病院を紹介され今度行く事になりました。。。

(10)からの続きです。

倒れてから三日目の12月14日。

またまた病院から一本の電話が掛かって来ました!

体調に異変かと思いながら電話に出ると担当の医師に変わるとの事。

「何事た!」と思いながらお話し聴いていると本日MRIを撮られ、

やはり左脳の梗塞がひどく右半身麻痺、言語障害が残るとの事で

この先話されていましたが午後から面会に行くのでその時に詳しくお聞きする事にしました。

で、結局この先自宅に帰るのは難しいでしょうと話され、

いずれは療養型病院かリハビリ病院が良いのではと話されたんです。

つい先日まで元気だった母が今は寝たきりで言葉も話せない状態。

そしてこんな悲しい話しをいきなり言われ何の希望も持てない話し。

まだ三日目だと言うのに……。

そんな事があり練習するモチベーションは急降下。

何もする気になれません。

しいて出来たのは安井塾の練習位です。

それと母が元気な頃何度も言われていた事があります。

それは「葬祭会館の会員に入っておくように!」と何度も言われてましたが、

やってなかったのを私は思い出し会員になっておきました。

それと年賀状を出すべきか?出さざるべきか?と悩みます。

年賀状は母のも買っているし…。

 

(9)からの続きです。

翌日12月13日に病院から電話があり容体が急変しやばい事になってしまったのかと思いながら電話に出たんです。

内容はHCUから一般病棟に変わったという内容で安心しホッとしました。

面会時間HCUと比べると緩和され午後から20時まで出来るので助かります。

ただ面会時間は30分。

母の側にずっと居たいけど30分だけ。

鼻には管が入れられ胃に繋がっています。

そこから栄養や薬、水分が入れられる様です。

24時間ずっと入れっぱなし。

動く左手にはミトン。

それに酸素吸入の管も鼻に入っていますし点滴もしています。

見ているだけで辛そう。。。

今、母はどう思っているんでしょう?

可哀想で可哀想で私は涙が止まりません。(泣)

問いかけると目を少し開きこちらを見てくれます。

反応があるのが救いです。

面会後嫁と帰宅途中母の話しになりお互い泣きながら帰りました。。。

帰っても母の姿がない自宅。

もう母の部屋に灯りが灯る事もなくなった部屋。

部屋を覗くと一層寂しさが込み上げて来ます。

もう一度三人で暮らした平凡な生活に戻りたいと。。。

(8)からの続きです。

先生から「手術は成功したけど思った以上に左脳の梗塞があり言葉などの認識が回復しないだろう」との事。

なので意志の疎通は難しいと……。

これが右脳だったらこうはならなかったそうです。

結局、右半身不随と言語機能障害となりました。(大泣)

「早く連れて来て頂いて手術も早く出来たのに残念です」と話された。

やはり94歳という年齢も関係ありとか。

不整脈がそもそもの原因だそうで、

不整脈から心不全や腎不全、

心臓から固まりが出来て脳に行って詰まると話されていました。

しばらくはHCU(高度治療室)で治療となります。

この不整脈については倒れる前日だったか症状があったんです。

それを私は見過ごしていました。(大泣)

その時こんな知識があれば当然お医者に連れて行ったでしょう。

そうすればこんな事態になる事はなかった!

悔やんでも悔やみきれません!

この先母はどうなるのでしょうか?

辛い手術も良くなると思い承諾書にサインしたのに残念な結果となり母に申し訳なく思います。

 

この日は午後3時から少し面会が出来たので母に会えたのですが、

意識はあるみたいでちょっと目を開いてくれました。

多分、母は「なぜこんな所にいるのか?」

「なぜこんなに痛いのか?」と思っていると思います。

そして動く左手には「ミトン」がされていました。

動く手が酸素吸入などしている管などを引き抜かない為にさせられているのですが、

それがまた可哀想です。

 

私達夫婦はその後家に帰りましたが、

朝まで一緒にいた母がいない現実を受け止められない!

心に大きな穴がポッカリ開いた感じです。

この夜から眠れない日々が続き始めました。

 

4月21日のお話しです。

結果はT1での体調トラブルで時間を要したので制限時間3時間35分を5分位オーバーしてしまい、

残念な結果になってしまいました。

★自分のガーミンの結果 

トータルタイム

★スイム

★バイク

★ラン

雨の中沢山の声援を頂き感謝致します。

応援も寒かったと聞いていおります。

結果が全てですので言い訳はしたくないのですが…

言わせて下さい。(笑)

T1での思い掛けないアクシデントでちょっとだけ最悪リタイヤも有りかと思う時もありましたが、

何とか復活出来て競技を続行出来ました。

あのT1での12分間で5分でも削られていれば制限時間内のゴールが出来たはず。

悔やんでも仕方ありませんが、

今後に活かして行こうと思っています!

★エイジグループリザルト

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