国産初のグラス投げ竿は何なのか?
この疑問に向き合って5年ほど経ちます。
まだ確定出来る証拠が無いのですが、現時点で「何が分かって何が分からないのか」を記してみます。
(推測も含む内容となっています。うまくまとめられず長くてややこしい内容ですが、その点は何卒ご了承いただければと思います。)
さて、
まずは大いに参考になったのがこちら↓
オリムピック釣具(株)創業者、植野善雄氏の生涯を追った本です。
この本によると、国産グラスロッドの開発は、昭和26年にオリムピックが米国オーシャン・シティー社からエドワード・A・トーマス氏を開発技術者として招聘したことに始まるようです。
翌年、昭和27年にはフェノール樹脂グラスロッド製造の特許を出願。
特許庁 特許情報プラットフォームより
こう見ると国産初のグラスロッドはオリムピックだ!と思えるのですが、植野善雄伝に非常に重要な一節が有るのでそのまま記します。
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「たとえば戦後出現したグラスロッドの場合を例にとると、さんざん樹脂の研究で苦節をかさねながら、その樹脂の解析帰納を持ったまま退社していったある技術者と手を結んだ某社に先を越されるといった失態を演じている。」(植野善雄伝より)
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これはつまり、オリムピックよりも先にグラスロッドを製品化した会社があるということです。
オリムピックは工大出身の和田三郎氏をフェノール樹脂の研究担当としますが、和田氏は昭和26年〜27年頃に、研究データを持ったまま他社へ移籍した、とも書かれていました。
他社というのはおそらく↓
日本フィッシングタックル。
昭和38年の広告でグラスロッドのパイオニアと謳っています。
NFTについて詳しく調べたいのですが、シマノに吸収されて無くなってしまった会社。
植野善雄伝のような本も無く、とにかく資料が見つかりません。
植野善雄伝を見る限り、グラスロッドに関してNFTがオリムピックを出し抜いたのは事実のようです。
オリムピックが本格的にグラスロッド製造をスタートしたのが昭和29年。米軍向けに1,000本製造したものの、「折れやすい不良品だった」と植野善雄伝に有りました。
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釣りビジョンに面白い動画が有ったので、まずはこちらをご覧ください。
動画では樋口氏が「国内向けは昭和32年オリムピックが東京湾1号、2号、3号を発売」と語られています。
正しい情報であろうかと思いますが、あくまでも60年前の記憶を辿って語られている内容なので、時系列や固有名詞に間違いが無いか検証する必要が有ると思います。
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他の証言も見てみましょう。フライの雑誌に掲載された(株)天龍の創業者、塩澤美芳氏インタビュー記事です。
https://furainozasshi.com/asakawa/20200514-3/
気になった一節は「昭和30年頃、グラスロッドの国内発売に向けて釣具業界が沸き立っていた。昭和31年に日本グラスロッド工業会が設立された。」というところ。
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これらの話を照合してみると、日本グラスロッド工業会が設立される昭和31年まで国内向けのグラスロッド販売は無かった。
オリムピックから東京湾1号が発売されたのは昭和32年では無く、31年だったかもしれない。
もしくは、東京湾1号が発売されるよりも一年早く、昭和31年に他のグラスロッドが発売されたかもしれない、ということです。
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あらためてNFTについて考えてみます。
オリムピックを出し抜いたという意味が二通り考えられます。
一つは、昭和29年にオリムピックが米軍向け1,000本を製造するよりも早くNFTが製造したという話。
もう一つは、輸出用の製品はオリムピックが製造していたが、折れやすい不良品が多いという問題を抱えていた。
品質向上に時間を費やしている間に、昭和31年頃、NFTが「国内向け初」の地位を奪い取った、という話。
これがどちらなのか、現時点では証拠が無く分かりません。
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そして、最後にこの話です。
昭和60年発売「別冊フィッシング 投げ釣り」掲載の小田原一鱚特集。