戦後の投げ釣り界を発展させた人物として、今回は小田原一鱚氏を挙げさせていただきます。
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「新技法による投げ釣り」
小田原一鱚著/昭和37年 西東社発行

小田原一鱚氏は大正11年東京中野の生まれ。
竹竿、木製リールの時代から投げ釣りを始められ、六角竿、スピニングリール、グラスロッドの登場という時代に投げ釣り界の第一線で活躍されました。
小田原一鱚という名前はペンネーム的な物で、本名では無いそうです。
NFT(日本フィッシングタックル)のNF68とオリムピックの93型リールでキャスティングする様子。
まだスピニングリールが普及を始めて日が浅く、キャスティングの技術も試行錯誤が繰り返されていた時代です。
もしかしたら、キャスティングについて詳しく書かれた国内最初の本かもしれません。
(違っていたらごめんなさい)
国産最初期のグラスロッドとリールで145mの投擲は凄いと思います。
この号に小田原氏のインタビューが掲載され、興味深い話がたくさん出ていましたので、抜粋、要約して紹介させていただきます。
昭和31年6月、全日本磯釣連盟主催の「釣りの祭典」という催しが日本橋浜町グラウンドで有り、そこで行われた遠投競技で小田原氏が優勝。
また、昭和34年9月には日本磯釣倶楽部主催のスポーツキャスティング競技会が東京の国立競技場で行われ、小田原氏は125mの飛距離でここでも優勝されたそうです。
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少し脱線しますが、
昭和34年の競技会について、同年9月号の月刊つり人に掲載されていました。
当時、I.C.F(インターナショナル・キャスティング・フェデレーション)から大手釣具メーカーへ「日本もキャスティング世界大会へ参加しないか」という話が来たものの、国内には対応する組織も大会も有りませんでした。
当時I.C.Fは国際オリンピック委員会に加盟しており、1965年の東京オリンピックでキャスティングが競技種目になるかもしれないという話も有ったようです。
そこで、日本磯釣倶楽部の創立20周年事業として、本大会が開催されました。
富士工業の大村隆一氏が137mの飛距離で優勝した「第1回全日本スポーツキャスティング選手権」は昭和35年開催。
大村氏については、いつかまたあらためて。
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話をインタビュー記事に戻します。
「スイング投法の開発」
V字投法を練習している間に、錘を振幅させて引っ張ってくれば遠心力がつくのでは、と、考えたのがスイング投法の前身です。
ゴルフクラブを振るのをスイングと言うので、昭和43年にスイング投法として発表しました。この頃、偶然に加古川の笹岡さん(全日本サーフ初代会長 笹岡 義 氏)も同じ投法を考えられ、彼は160m投げていました。
「昭和25年スピニングリール登場」
昭和25年にオリムピックから81というインスプールタイプが出て、29年には93がアウトスプールタイプとして登場しました。
「小田原天秤考案」
昭和30年頃の天秤はハゼ釣り用の縦横が違う長さでした。着水時に仕掛けが絡むので、縦横10cmで錘着脱式の天秤を小田原の越前屋という釣具屋に作らせました。
その後、固定式が良いとなり、昭和45年頃に富士工業から海草天秤として発売されました。
「国産初のグラス投げ竿」
昭和31年頃、NFTから新しい投げ竿を考えたから来てくれと呼ばれて、行ってみたらグラスファイバーでした。
私の考えで0.25mmを4層にして1mmにするより、0.16mmを6層にして1mmにした方が強いと話して、それで出来たのがNF68です。
この竿の発売と同時にアマゾンが出ました。
調べたら、0.25mmを4層にしたのがアマゾン、0.16mmを6層にしたのがNF68でした。
「日本号のテスター」
その後、櫻井釣漁具が新しい竿ができたからとテストしてみました。これが軽くてよい竿で、日本号と命名して喜ばれました。
「NFTの口金開発」
昭和35〜36年頃、ジョイント継ぎが重いので並継ぎに設計変更の折、12〜13cmのオスの部分が折れるというので、11cmから18cmまで、1cm刻みに100投づつ計800投のテストをしました。
(以上、小田原氏談)
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国際初のグラス投げ竿はアマゾンなのかNF68なのか、それとも別の物なのか。
オリムピックのモデル81は本当に昭和25年発売なのか等。
気になる箇所は残りますが、このインタビューにはヒントとなるキーワードがたくさん有り、大いに参考になりました。
いずれにせよ、戦後の投げ釣り発展の為に小田原氏が大きく関わったことは事実で、僕たちがその恩恵を受けていることには深く感謝したいと思います。
我々が釣りを楽しんだり、熱く語ったり出来るのは、努力を重ねたパイオニアの存在があればこそ。
なので、先人への感謝と敬意を忘れてはならないし、これからもいろいろ掘り返していくつもりです。
小田原一鱚氏は2014年に御逝去されました。
心から感謝の意を込めて合掌。