平野啓一郎さん、随分間を空けての2冊目です。

一冊目「マチネの終わりに」は、

期待を込めて文庫を買った🧐のですが、

何となく期待外れ?でした。

何だかピンと来なかった💦

で、それきりになってはいましたが、

この「本心」は、気になっていました。

「余命」を主題にした本という、新聞の

書評を読んだのですが、「余命」という

ことではなかったかな?


「本心」

四半世紀後の日本、

2040年代

殆どの仕事をAIが賄うようになり、

老人ばかりの社会😩


「自由死」という安楽死も認められている。

そして、なんと、AI/VR技術で亡くなった人を

再生させることも出来る😱という世界


主人公は、29歳、朔也


リアルアバター、という仕事をしている。

今、USJなどの施設で、そんなようなものはあるけど、大阪万博でも話題になってますね

依頼者、(富裕層の、忙しくて時間がない人、行ったことにしたい人、病身で行けない人、

などの代わりに

依頼された場所に行き、歩き、見て、聞いて、

その依頼者に実際、その場所にいるような

感覚を与える、という😎

学歴や資格は問われないけれど、肉体労働で、

長くは続けられない不安定な仕事


母親は、半年前に事故で亡くなった。

母は、亡くなる少し前に、「自由死」をしたい

と、突然朔也に言いはじめた。

母ひとり子ひとり、父親は物心ついた時からおらず

ふたりでずっと生きてきたのに、突然母から、もう充分生きたから、これでいい

「自由死」をしたい、と言われて、朔也は、

裏切られたような気持ちになり、そのことを

認めないまま、話し合いもしないまま、

母は事故で亡くなってしまったのだった。

母の本心が知りたい。

まだ70歳で、どうして死にたいと、

もう十分だ!と思うようになったのか?

それが知りたくて、母のかかりつけ医、

(「自由死」をするには、当然医者が処置をしなくてはならず、それをしてもいいと認められるまで、

長い間、色んな意味で診察をし、精神的にも

何もかも正常で、判断力も問題がないと認められ

なくてはならない)

にも会って、どうして母は、「自由死」が

したいと考えたのか?を尋ねるけど、医者は

たぶん経済的な問題だろう、と

予測寿命😆は、母は86歳で、まだ15年以上

生きてお金を費うより、朔也にそれを残したい、

と思ったのだろう、と。

だけど朔也は、それにも納得がいかない。


母は、色んな仕事をして朔也を育ててきたけれど、

最後は温泉旅館の下働きのような、最底辺の仕事を

していた。その仕事の中で、唯一親しかった

若い友達がいたようで、その若い友人とも会い、

話を聞くと、

母はもうすぐ、仕事を失いそうだったこと、

やはりお金の心配をしていたことを知り、

そして、その人から、

母の愛読していた本の老作家が、

何か知っているのでは?と言われる。

そして、その老作家から聞く話は、朔也の全く

知らなかった母の秘密の一面と、そして朔也の

出生についての衝撃の事実だった。


とても物凄く面白かったです!

夢中で読みました。

ただ、読み終わって、ぐったり疲れました😑


25年後、日本が、「自由死」という死を

認めていると思えないし、

(難病などの方の安楽死は、別ですが)


バーチャルだとはいえ、亡くなった人に

そっくりの人を、再生できることも、

それは?と思うけど、その人が、また

働いたりもするのですから😩


だけど、ここに書かれている、25年後の日本。

経済も崩壊してしまって、貧富の差は、

とてつもなく大きくなり、

子供は、親が金持ちだったかどうかで、

その後の人生が殆ど決まってしまい。

どれだけ努力しても、上の階級?にいくことは

できず、みんな諦めて、せめてバーチャルの世界

で、あちらの世界に行き、それで満足している

状態。


当然、高嶋哲夫さんが書くように、

自然災害は、台風でも、豪雨でも、地震でも、

増大し増強し😱

その後のインフラの整備も貧乏国日本では、

殆どできずズタボロのままで…。

というそんな日本は、何となく悪い予感として想像できてしまって💦

それで、ぐったり疲れましたね。

平野啓一郎さん、何となく、私くらいの歳の方か、

と、「マチネの終わりに」を読んで思っていたけど、20歳も下でした😝まだ40代の方ですね。

ロスジェネ世代。

この朔也の母が、その世代の人として書かれて

います。

なるほど🧐ですね。


もう少し読んでみよう、と思っています。

「マチネの終わりに」とあまりにも違ったから…。

だけど、こちらの方が、断然面白かった!

疲れたけど🤣


25年後.、もしかすると、まだ生きてるかも😱

それこそ、その時まで、私はまだ生きていたい、

と思っているのか?

それとも、朔也の母のように、途中で、もう充分、と思っているのか?