金原ひとみさん、「蛇とピアス」以来、
初めて読んだ「マザーズ」で大ショックを
受けました!こんなお話を書く人だったのか!と
「蛇とピアス」のイメージから、
随分違っていて、🧐
そして、これは、やっと開いた図書館で、
金原さんの棚から、無作為に選んできました。
が、やはり、「マザーズ」同様、とても
重い深いお話でした。
同じ頃に書かれたものですね。
人生で、
思いがけない事件や事故にあった時、
平穏な約束されていると思っていた未来が
一瞬で捻じ曲がってしまう。
誰でも陥る罠。
4人の主人公、
みんな30代
グラフィックデザイナーの修人。
仕事も軌道に乗り、忙しく、
結婚して娘が生まれたばかり、
何もかもが思い通りに回っていた、
あの日、大震災とそれに続く原発の事故
それまでは、
震災の2日後、東京電力で働いている
という大学時代の知り合いから、
「子供だけでも西に逃した方がいい、とにかく
逃げられるだけ逃げた方がいい」
という電話をうける。
それ以来修人は。もうそれ以外のことが
考えられなくなった。
とにかく西へしばらく子供を連れて逃げてくれ、
と、妻の香奈に頼むが、
妻は、ガンとして嫌だと言う。
生後2ヶ月のまだ首も座らない娘を連れて、
全く知らない土地のホテルで、
例え2週間でも暮らせると思わない!と、
どうしてもできないと泣いて拒否する
放射能の怖さを説き、
ホテルまで荷物を持って送って行くから、
などと言ったり、妻が昔行きたがっていた
神戸の一流ホテルの予約を取ったりもするが、
香奈は、絶対無理だと言い張り、ヒステリーを起こし激昂する
ついに都庁に勤める義父まで出てきて、
東京から逃げる必要はない!と言われてしまう。
それからは、修人は、家中の窓にガムテープで
めばりをし、しばらく娘は外に出さないようにしよう、と香奈に言うけど、もうふたりの間の信頼は
崩れてしまい、東北から来る野菜は食べるな、
母乳をやめて外国製の粉ミルクにしようとまで言う修人に呆れて、結局、妻は、娘を連れて出て行って
しまった
そして修人は、自分がもう仕事ができなくなっていることに気がつく。
何も出てこない…
あんなに、次々にイメージが湧き新しいものが
生み出せて、そしてそんなものに絶大な自信を持っていたのに…
あれから2年、今、僕は、もう身体中、五感が麻痺したように自分はどこにいるのかさえ分からない
美しいものと美しくないものの見分けさえつかない
自分が生きている意味などあるのだろうか?
エリナ、
幼い頃から天衣無縫
いつも素のままあっけらかんと奔放に生きているけど、
周りからも両親からも愛されてきた
10代で知り合った年上のアメリカ人と結婚、
娘を産み、そしてすぐ離婚。
震災と原発事故で、とりあえず逃げておいて損は
ないだろう、くらいの気持ちで、
イギリスにでも行こうかな、と言うと、元夫は、走り回って、手配をしてくれた。
そしてイギリスに来て2年、何かが、自分の中で
溶けて行くような感じがしている。
多分それは、何かを目標に生きる事への気力。
日本にいる時は、楽しいことだけをしていた。
ショッピング、ネイル、美容、映画、呑み会、
カラオケ、遊園地もピクニックも
それが人生の目標だったわけではなく、
ただ単に楽しい暇つぶしであり、散財でしかなかったけれど、それに気ずかないように、
走っていただけだったけど、震災で、イギリスに来たことで、私は立ち止まってしまった、
立ち止まった瞬間、
私は全てを喪失したような気がしたけど、それまでも何も手にはしてはいなかったのだろう
今、わたしはもう楽しさの先にさある虚無を
知ってしまった
人生とはけっきょく、自分自身では左右しようのないものなのだろう
千鶴
自由奔放な妹エリナに反発して、
私はやたら考える人になった。
勉強を重ね優秀な成績をとり、どこに出ても
恥ずかしくない礼儀と知識、空気を読み、どこからも浮かず、一流大学に入り、一流会社に採用された
私は手堅い男と付き合って、夫に辿り着いた。
我ながら順風満帆で満点に近い人生を送ってきた
結婚を間近にして出会った修人に、強く惹かれて、
修人との未来も考えもしたけど、やはり私は
夫を選び夫の駐在に従ってフランスに渡った。
息子が産まれて、夫のためにフランスの家庭料理を研究したり、フランス語を勉強し、家事、育児、勉強、と充実した毎日に満足していた。
そんな幸せなある日、突然、息子が、脳症で急逝した。
全く予想出来なかった。ああすれば良かったと思うことは、何一つなかった!でもその事実こそが、私に
無力感を与えた。
私は完璧だった、誠実な男と結婚して、可愛い息子をもうけ、石橋を叩きながら、慎重に幸せに生きてきた、だからこそ息子を失った後の私は、著しいコントロールの不能感があった。
全ての欲望から見放されたような…
朱里
平凡に結婚して、娘を産み、
夫の両親と二世帯住宅を建て、そこで平凡でも
幸せに穏やかに暮らすはずだったのに、夫が
イギリスに赴任になった!
行きたくなかった!日本にいたかった!
でも、夫と離婚はできない、娘もいるし、
だから、イギリスに行った
けれどイギリスで、私は、日本人とだけ交流して、
日本のテレビを見て、食事も全て、
調味料から手作りし日本食を作った。
ただ、日本に帰ることだけを、希望にして、
2年間を過ごした。
震災があり原発の事故があり、それでも、
日本に帰りたかった!
そしてやっと帰った日本の家には
仕事をリストラされた、義兄夫婦が
居座っていて…
話は全く別ですが、
実は、わたしの離婚の原因もこれで、
私の場合、義妹一家が、何億もの借金を負って、
隣で暮らす義両親の家に転がり込んできた💦
ことでした。
朱里は、キチンと義両親の食事も作りながら、
そこにい続けて決して家から出ることはなく、、ついに義兄夫婦を追い出すことに成功さします。
朱里は、
きっと私はここから別の道を、歩むことは
ないだろう、
と考えるのですが、
私の場合、もう放棄してしまいました。
朱里のように、その家を自分のいるべきところと
強く思えなかった💦
もういろいろなことが、目に入るのが嫌で、
例えば。義両親の家が、義妹一家のためにリフォームされていたり、義弟は、何年経っても働く気配がなく、ぶらぶらしている、とか。
もうここは私のいるところではない、
と私は決めました。
義両親や、子供たち、には申し訳ないな、とも
思いましたが、私本人は、それから今まで、
一度も離婚を後悔したことはありません。
所詮、夫婦間にその結婚を続けるための、
信頼も愛情もなかった、と言うことだと思います。
その点、平凡で大人しく強さなど感じさせない朱里は、自分のいるべきところを守る、ということには、とても強い意志を持っていた、と言うことなのですね。
どんな人でも、人生の中で、
思いがけない事故や事件に出会い、
一瞬で人生が捻じ曲がってしまう、と言うことが
あります。
それは、どんなことなのか分からないのですが、
私にとっては、離婚や癌や、より、
何故か今回の脳梗塞が、そうだったように
思います。
軽い脳梗塞で、麻痺も後遺症もなく、
元通り暮らせるのに、自分の中で何かが
大きく変わってしまったような💦
そんな感じがありました。
その自分ともなんとか折り合ってこれからを
生きていかなければいけません。
エリナが、これからは長い余生と言っていましたが、
千鶴にしても修人にしてもそうなのかもしれませんそして私も😝
朱音だけが着実に自分の人生を、歩いていくようです。決して楽しい幸せなだけの人生ではないでしょうけど💦