図書館で、初めて見て、
初めて読む作家さんでした。
青山美智子さんの本を探していたんです😅
一冊もなくて💦この本を見つけました。

初めての作家さんで、
初めての文体で、
登場人物は、6人なのですが、
すごく個性的な人ばかり!と思ったけど、
書き方なのかもしれません。
読み終わってみると、
もう一回読み直してみようか、と
思うくらいとても惹かれる所がある
読み応えのある本でした。


27歳。次女。
恋人と別れて、仕事も辞めて、突然、
実家に帰ってきた。

祥子
母。59歳。
元体育教師。今は、体操教室をしている。

滋彦
父。59歳。
自分の家とそっくりな他人の家に、
何故か惹かれて、足繁く通っている。

道世
祥子の叔母。71歳。
独身。生家で、小さな商店をして暮らしている。
3人の爺さんのとりまきがいる。

博和
何年も音信不通だった、祥子の兄。
ニュージーランドで暮らしている。

祥子の母。梓の祖母。道世の姉。
この人の法要の日から、
お話しは、始まるから、
亡くなっているのだけど、
最後の部分で、時間を遡って、
この人が、語り手になる章もあります。

つまり全員が親族。

だけど最初は、
5人の、それぞれが、
もうホントに勝手に喋ってる!という感じの
個人的な話が、次々と続くので、
何だかこんがらがって、
えーっと、これは誰だったっけ?
と思ったりしたけど😅
でもみんな「家」について語っている所が
あるのですね。

親族なのに、みんな赤の他人のように
すれ違いながら、暮らしているけど
みんなが、遠い昔、
それぞれの時期に、
同じ家で(今の道世の家)
暮らしたことがあって、
それぞれが、その家に、秘密の思い出を
持っていて…。

家、というのは、誰でも何回か
引っ越したりして、一生のうちに何軒かに
住むことになると思うけど、 
何年住んでいても借り物のような
気がする所と、
入った途端、ああここだ!と思う所が
ありますね。「私の家」だ!と。

だけど
梓の話しの中で、
「もし両親も姉もいなくなって、
そして、一緒に暮らした家までなくなったら、
私の、埋もれている記憶は、もう思い出す術も
なくなるんじゃないだろうか」
というところがあって、
確かにそうだ、と思いました。

私ももう誰もいない実家で、
何でもない置き物とか、
天井のシミとかで、
急に、幼い私の姿が、
見えたりすることがあります。

そうだなぁ、あの家を処分してしまったら
そんな幼い私を、思いだすことも
なくなるのかもなぁ、と😰
あの実家は、「私の家」ではないから、
もう処分しよう、と思っていたけど…。

などと、ちょっと考えこんだり😅

みんなの思い出や秘密のある
今の道世の家ですが、
その家も、道世は、
30代で、両親を亡くして
小さな商店をするため、
両親のものはいろいろ処分したし、
50代の頃、恋をして🥰
ふたりで住むために、二階部分を増築して、
ところが、その直後、彼の心変わりで
逃げられた😱という経緯があり、
みんなのいろんな思い出や秘密のある家も、
かなり形は、変えているのです。 
道世は、その50代の失敗を、
毎日、目にしながら暮らしているので、
かなり厭世的で、悟りきっている、
という感じもします。

そして最後の、照、の章。
(梓の祖母、祥子の母、道世の姉)
この人の一回忌で親族が集まっているので
もう亡くなっています。
照の、20年以上昔の記憶です。

照は、若い頃、鬱病?になり、
祥子や博和を実家に(今の道世の家)預けたり 
していたことを、いつまでも、
後悔しているし、 
結婚して、子供を産み、暮らしていた家は、
夫が、61歳の時に、
風呂場で転んで突然亡くなった後、
どうしてもその記憶に耐えられなくなり、
処分して、小さいマンションに引っ越し、
誰とも付き合わず、ひっそり暮らしている。
私は、子供に嫌われている、と思い込んでいて、
子供たちが、一緒に旅行に行こう、と
誘ってきたりすることに何故か
怯えているのだけど、
最後の最後のところで、
明日はデパートに旅行鞄を買いに行こう、 
と思う所で、独白は終わっている。
最後は、少しは、心を開いたのかな?
博和も、祥子も、
一回忌の法要でなお、
母が何を考え思っていたのか?
よく分からない、と思っているのですが。
いくら母親であっても、
そんなものですよね?


読めば読むほど、深くなって、
あちこちに気持ちが飛んで、
感想も書きにくい本でした。
考えるところもいっぱいありました。
青山七恵さんの
他の本も読んでみたいと思います。



朝顔を、やっと処分しました。
1時間くらいかかって、
ベランダに絡みついた蔦を、ハサミで、
チョキチョキ🥲
「ありがとう!」と言いながら、
切りました。

絡みついている朝顔がなくなったベランダは
何だかもう他所の家のようです。
古い団地なので、ベランダの水漏れの
問題などもあって、
りんどうや、ゼラニウムなど、は、
家の中に入れてしまいました。

毎朝のあのベランダを眺める
楽しい習慣も、半年はお預けです。

来年また、
今年のように楽しめますように!
と、祈って、
いつから、「今年と同じように!」と
祈るようになったんだろう?と。
もうこれ以上はないと思ってるんだね😂
せめてここに留まりたい!と🥲
歳をとったということなのかな🤣