散歩で摘んできた花。

ヒメジョンと紫のは何という花かは?

堤防の道にいっぱい咲いてます。

なんとなく、摘む?というより、

ハサミで切るので、ちょっと罪悪感は

あるんだけど、最近はこれがいちばん盛り

なので、ごめんなさい💦

このところは、

仏壇も、この組み合わせで、

供えてます💦

1週間は、綺麗に保ちます。



昨日夜から読み始めた

荻原浩さんの短編集

「月の上の観覧車」

図書館で、「明日の記憶」と一緒に

借りました。


8編の物語の中で、

どのお話も、亡くした人や、時間への

想い、懐かしさと後悔。

「トンネル鏡」は、亡くした母に、

「金魚」は、亡くした妻に、

「上海租界の魔術師」は、祖父、

「胡瓜の馬」は、幼馴染で昔の恋人、


そして表題作の 

「月の上の観覧車」

主人公は、幼い頃から、観覧車に乗ると、

亡くなった人に会える、という経験を

している。

最初は、母。

ひとりで乗った観覧車が、突然怖くなり、

パニックに陥りそうになった時、

隣の箱に乗って微笑んでいる、

亡くしたばかりの母をみる。

そして二十代半ば、

故郷で父が倒れた、という知らせに、

帰るかどうかを決めかねて、

また、母に会えるのでは?と

観覧車に乗る。

隣の箱をずっと探すけど、

やはり母はいなくて、

ため息をついて首を戻したら、

反対の座席に父が座っていた。

若い頃の父。

亡くなった父の後を継いで、家業の

旅館を継ぎ、そして時代の幸運もあり

順調に業績も伸ばすけど、

遅くに生まれた息子には、

障害があり、13歳でなくなる。

そして、50年後、

自身に癌が見つかり、

でも手術は拒否している。

亡くなった息子に会いたくて、また

50年ぶりに観覧車に乗る。

そして…。


観覧車を降りた時、

手術を受けてみようか、

と思う主人公。

亡くなった人たちに会うことで、

そちらに引きずられるのではなく、

また生きてみよう、と思う。

亡くなった人たちを思うことが

生きる力になる。

そういうふうに感じられる

「月の上の観覧車」が、

この短編集の中では、

いちばん好きです。