今日スーパーで、鮎を見ました。
こんな時期に、鮎があると思わなかったので、
あれ鮎だ!と思ってすぐ、危ない!と思い、
魚売り場を早足で通り過ぎたのですが、
やっぱり涙が出て困りました💦
実家の近くの川は、鮎の釣れる川なので、
夏に帰ると、本当に美味しい鮎がたべられます。
母が好きだった、というより
私が好きだから、夏に帰るたび母が、
大きな立派な鮎を用意してくれていました。
亡くなる1週間前に帰った時も、
ちょっと早いから、小さいんじゃけど、
と言いながら、鮎を用意してくれていました。
今朝の朝日新聞の天声人語は、
有吉佐和子さんの「恍惚の人」のことを
書いていました。
この間、久しぶりに同級生たちに会って話していると
やはりみんな親御さんの介護では、いろいろ苦労が
あるようでした。
特にこのコロナ禍では、施設に入っている親には、
なかなか会えないし、
ディサービスに通っている場合は、
自分が帰って親に会うと、2週間ディサービスに
通えないので、帰れなかった、
などと話していました。
お母さんが施設に入っている友達は、
やっと会えるのよ!もう私のことあまりわかってないんだけどねー。
と話していました。
良かったね、と言いながら、
なんとなく顔が強張ってるなぁ、と思っていました💦
みんなのお母さんは、まだ生きてるのに
どうしてうちのお母さんが死んだんだろう⁈
という変な僻みのような💦
私のお母さんは、まだまだ元気で、しっかりしていたのに、という💦
還暦も過ぎた、自分がもうおばあさんの娘が
そんなこと言ったら笑われるでしょうけど。
みんな、口々に
本当にピンピンコロリの典型だね。
お母さんもきっと、やったー!って思ってはるよ!
いい亡くなり方だよ!
と言ってくれて、
私も、そうなんだよね、と頷いているのですが。
でも、やっぱり、なんとなく、どうして?
と思ってしまう。
父も、79歳で亡くなりましたが、
パーキンソン病からの肺炎で病院で亡くなったので、
私は、親の介護というのは、全くしていません。
認知症になった親の介護というのは、
本当に大変なのだと思います。
有吉佐和子さんの 「恍惚の人」は、
まだ「認知症」という言葉がなかった時代に、
老いの実相をいち早く教えてくれた。
と、天声人語には書かれています。
でも、私の読んだ印象では、
その介護負担の辛い様子だけではなく、
「認知症」を「恍惚」という言葉で書き、
最後には、まるで仙人のようになった舅の
様子がとても微笑ましく暖かく書かれていて、
そんなに辛い話しではなかった、
と思っています。
母は、
娘に介護させることもなく、
最後までキチンとひとりで生活し、
遺書も遺影も用意し、
なんだか何もかも自分で整えて、
図ったように、
突然死んで。
確かに、立派だけど、見事だけど、
あまりに立派で見事すぎるようで、
まるで裏切られたように
淋しいです。
贅沢な、甘えたことを言ってる
とは思うけど💦