大分県出身の彫刻家の紹介【その3】
今日は、『東洋のロダン』とも称された大分県出身の彫刻家
朝倉文夫を紹介します。
| 1883= | 大分県大野郡上井田村(現豊後大野市)に生まれる |
| 1902= | 竹田中学校を中退し上京、彫塑を学ぶ |
| 1903= | 東京美術学校彫刻科選科に入学 |
| 1906= | 海軍の三提督銅像制作に応募し「仁礼景範像」が一等入選 |
| 1907= | 東京美術学校彫刻科選科を卒業 |
| 1908= | 第2回文展に「闇」を出品し二等賞(第一席) |
| 1909= | 第3回文展に「山から来た男」を出品し三等賞、文部省買上 |
| 1910= | 第4回文展に「墓守」を出品し二等賞 ブルネイその他を視察 |
| 1911= | 第5回文展に「工人の顔」を出品し三等賞 |
| 1916= | 文展審査員となる |
| 1919= | 東京美術学校教授となる |
| 1924= | 帝国美術院会員となる |
| 1927= | 第1回朝倉彫塑展覧会(東京都美術館) |
| 1932= | 早稲田大学50年記念「大隈重信像」制作、大学校賓に推される |
| 1935= | 朝倉塾(のち朝倉彫塑塾)を開設 |
| 1937= | 帝国芸術院会員に任命される |
| 1948= | 文化勲章を受章 |
1956= |
日本芸術院第二部長となる |
| 1961= | 東京都台東区名誉区民となる |
| 1964= | 死去 |
私も、豊後大野市朝地町の朝倉文夫記念館にて、様々な作品に囲まれながら身をおきましたが、男・女・動物とそれぞれの骨格や筋肉の付き方など特徴を捉え、表現されている印象があり、し~んと静まり返ったフロアの中で、今にも動き出しそうなリアリティがありました。(スミマセン、ド素人の意見です、ご参考までに。)
