豊後(大分県)南画の紹介 【その1】
豊後(大分県)出身の南画家の作品を紹介したいと思います。
もともと南画は中国で教養ある人や財産のある人々が趣味として詩・画・書・茶道・花道など始めたことがきっかけで、日本には17世紀後半に長崎から入り、全国に広がったようです。
豊後南画は田能村竹田(たのむらちくでん)が18世紀後半に、ここ竹田市に誕生させ、全国を旅する中で当時の文人達との交流からその技術を確立していきました。田能村竹田はその技術や精神を多くの弟子に伝え、その弟子達が更に技術・精神を研究し、全国に広がりました。
田能村直入(たのむらちょくにゅう) 1814~1907 竹田市出身
1822年に田能村竹田が開いた塾(竹田荘)に入門。竹田にその才能を認められ、田能村の姓を名乗って竹田の技術を継承しました。
明治に入り京都に上り、明治11年には京都市立芸術大学の前身である京都府立画学校を開き、初代校長を務めました。
隠居後は京都の自宅に南画塾(画神堂)を開き、熱心に弟子の育成に力を注ぎました。
これからも、少しずつではありますが縁のある作品を紹介していきたいと思います。
このような作品を通して歴史に思いを巡らせながら、ご滞在をお楽しみいただきたいと思います。