早くも、5年。 | ひな爺のブログ

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雛さん初め、家族と暮らすなかで、日々の出来事を記録してます。

5年…。あっという間ですね。東日本大震災。



言葉が、出てきません。うちが、住んでいる、広島県福山市は、あまり被害は、無かったような記憶がありますが、テレビの映像を目にした時、リアクションがうちだけ、無反応だったらしいです。そのあと、意識を失ったとか。どうしても、阪神淡路大震災の記憶が、でかすぎて、震度1未満の揺れさえ、気づいてしまうようになりました。なんせ、うとうと2階の自分の部屋のベッドで寝てたら、壁掛け扇風機が震度5弱の揺れで、腹に降ってきて、目が覚めたもんで(-_-;)
あの恐怖体験から、ずーっと、地震の揺れ、起きた日、いつ揺れるかわからない、未知の恐怖がうちに付きまとっています。
太陽系の生命体の1つである以上、宿命と言われれば、それまでなんだけど、でも、天災から、逃れる事は、出来ないのだろうか?
未だ、窮屈な生活を余儀なくされている方々、片道1時間以上かけて、仮校舎に通う、学生の皆様。生き延びることが、叶わなかった、方々。未だ、行方がわかっていない、人々。孤独と闘いながら、必至で生きている人々。1日、1日が、無事に生きる事が出来た。と、それまで、当たり前のように過ごしていた日々が、1瞬にして、まったく違う光景になってしまった、何とも言えない気持ち。復興は、まだまだ、途中。資金、人材、土地、まだまだ、まだまだ、まだまだ、不足してますね。今は、まだ、笑顔で、心、豊かに、喜怒哀楽を愉しんで過ごそう?なんて、酷な話ですよね。だって、うちだって、未だに、心底、笑えるようになれてないから。
でも、きっと、今より、強くなれるから。
受け入れられるスピードは、人それぞれだけど、ゆ~っくりでも、前に進んでいくしかなくて、いずれ、受け入れて、体験談を後世に伝えていく役目が有ると、うちは思う。確かに、復興により、街は、新しくなるけれど、体験した記憶は、消え去る事は無いから。うちの子供達は、まだ、大震災を体験してはいない。側にいる、雛と優は、身を呈して、守ってやれるけれど、施設にいる娘が、凄く心配。いざ、大震災が起きたら、山の上に施設があるし、集団生活してるから、下は、4歳。上は、大人までいて、構造上、どう考えても、あれだけの大人数を避難させられる場所が、確保されていない。我が家は、リビングが、生活拠点だから、避難しようと思えば、窓、勝手口、リビングのドアを開ければ、玄関からも、避難が出来る。但し、2重の窓ガラスが割れたら、最期だろうが…。
地震大国、日本。そして、異常気象。いつ、何時、何が起こるかわからない、毎日。それでも、今、1瞬に、生かされている事に、感謝して、邁進していきたいと思う。命とは、永久不滅ではない。皆、限られた時の中で、切磋琢磨している。だからこそ、与えていただいたこの命を、大切に、大切に、全うしたいと思う。改めて、先達の皆様の御冥福と被災地の皆様の御健闘と病気平癒を御祈祷させていただきたく存じます。
故郷は、1つだから、大切にしていきましょ。たとえ、様変りしてしまっても、生まれ故郷に代わり無いから。
生かされて活きている。「有難う。」毎日、この1言を、忘れないで、生きていきたい。

そんな1日の幕開けでした(*´ω`*)