歌手の、上條恒彦さんが、この度、鬼籍に入られた
という。私は、高校生、二十歳前後の頃、氏の大ファン
だった。十代の時期、当時、歌謡曲には関心の無かった
私に、父が、氏のベスト集のカセットテープを買って
きてくれたのだ。私は、「ああ、出発の歌と、木枯らし
紋次郎の歌の人ね。」と思った。そのカセットテープは、
今でも自宅にあるが、名曲揃いで、私は、暫くの間、その
カセットを聴き耽ったものだ。私は、もっと、氏の唄を
聴きたいと思い、レコード店で、氏のLPレコを次々買った。
でも、私は、当時は、ナントカの一つ覚え・・と言ったら、
言葉は悪いけど、私は、レコといったら、上條さんしか、もう、
聴かなかった。あとの歌い手さんは、その都度、気に入った
曲のシングル盤を時々聴く程度だった。私は、当時、ダウン症
の病気で、感受性が育ってなかったのだ。私が、大の音楽ヲタク
になったのは、病気が治ってからの二十代後半の頃からである。
平成に入ってからの氏は、もっぱら、ジブリの映画で声優と
して大活躍していた。唄のほうは、「お母さんの写真」「生きて
いるということは」をヒットさせた。氏は、失礼だが、享年
85歳とのことだが、11年前に亡くなった、私の父も享年
85歳だった。何かの宿縁だろうか。関係ないかな。(笑)
また、氏の告別式の喪主が、氏の奥さんとのことだが、彼女の
お名前が、悦子さんという方だという。舞 悦子さんじゃない
だろうな・・なーんちゃって。(笑)悦子さんって、お名前の方は、
いっぱいいるわな。
上條さん、ご冥福をお祈り致します。
私自身の話しで言えば、私も、長年、養老院に居た叔母が、
この程、他界しました。