私は、昭和末から、信心させて頂いてる者
である。一つの宗教に片寄らず、私なりに
いろんな宗教を、私なりに研究した。日本は、
神仏習合、多神教だから、別にいいのだ。
私が、今になって思うことは、宗教ってやつは、
エラそうな理屈ばっかり説くんだよなァ。理屈
は、もういいから、実感したいよ・・、って
ことである。そして、どこの、宗教も、すぐに、
「ウチはご利益信心じゃない」ってことを、
したり顔していうのだ。私が、[とにかく、信心
してますと、どのような効果があるのですか?]
と聞いても、もう、人の話しを聞かないし、二言目
には、「ウチの教団に布施をしろ」である。私なりに、
ねばって、[要するに、神仏を信じた上で、現生の
私等は、真・善・美に則った生き方を続ければ良い
わけで、その公案を授けてくれる役目が、宗教でない
ですか?]と、伺っても、ハッキリした解答は聞け
なかった。そりゃ、統一教会とか、昔の福永法源
とかのエセ宗教なら、私も知らん顔して終わりだが、
でも、私自身は、やっぱり、信心を止めない。
故KANさんの、♪信じることさー・・というのを、
私も支持する。私は、令和に入ってから、自分の信心
に、益々、磨きがかかって来たと思っている。この時期
から、私は、日本の歳時記、風習、年間行事に随分関心が
湧き、毎月、ひとつひとつ丁寧にやっている。でも、やっぱ、
功徳とか、効果がないと、張り合いないんだよナ。