おれは、小さい頃から障害者だった。

 したがって、一生涯、デクノ坊のままだった。

 生まれつきの障害者が、一生、デクノ坊なのは

当たり前だわな。

 おれは、小学校、中学、高等学校と、常に問題児

だった。おれは、高等学校を卒業すると、精神科神経科に

入院し、何と4か月も、病院にいた。そのあと、フリーターを

転々とし、施設に5年も通ったが、おれは、相変わらず

浮き上がった存在だった。おれは、1986年(昭和61年)に、

病気が、やっと、長いこと一級だったのが、二級になり、

そのころから、やっと、人並みに真面目に働くようになり、

家業を継いだのだ。今年で、もう35年も継続している。

 だが、おれの、デクノ坊ぶりは相変わらずだった。

本職のほうは、ともかくとして、おれは、病気が二級に

なってから、いろんな資格、特技を持とうとしたが、やはり、

何をやってもだめだった。おれの、履歴書なんざ、賞罰一切

ナシで、殆ど白紙なのは、熟年になっても、そのまんまだった。

 所詮、おれは、ただの一障害者で、人生晩年を迎えた。

 ま、おれなりに一生懸命やったよ。