前回に引き続き、おれの凄いプライベートなことを
また、書く。何とか、気力絞って書く。
おれは、SEXもまるで自信ないが、喧嘩もまるで
自信がない。いや、自信がないというより、喧嘩が
出来ねえんだ・・。
おれは、小さい頃から、過保護育ち、思いっきり
甘やかされて育った。おれは、情緒不安定持て余した
ガキんちょであり、ダダばかりこねていたのだ。
おれは、すぐ癇癪起こし、母や伯母さんや祖母に
絵本やおもちゃや、周りのものを手当たり次第投げつけて
いた。こんな、おれだから、何が、戦闘能力なんか、まともに
育つものか。おれが、小学校に入学した時、入学式で
初めて会った、見知らぬ同級生に、おれは苛められた。
おれにしてみれば、赤の他人に、なぜ、こんなことされる
のか、てんで分からなかったし、おれも全然やり返すことが
できず、ただ、おれはビビってるだけだった。でも、おれも
小学生になる前は、家族にいろんな親戚とか友人とかの
家に連れて行ってもらったが、おれだって、口の聞き方の
知らないガキんちょだったものな。おれは、小学校の入学式で
イジメに遭ったのを皮切りに、初等教育、中等教育の時は
どこ行っても、まともな扱いされず、ただ袋叩きに遭わされっ放し
だったんだぜ。おれは、何と下級生にさえも苛められた。ホント
だぜ。おれは、なぜ、自分ばっかり、下らない目に遭わされるのか、
ただ右往左往してるだけだった。おれは、何とか、自分もイジメに
打ち勝つために、武器を備えようと、柔道、空手を習うなんて
血迷ったこともしたよなあ。
だが、おれは、20代半ばころから、ようやくにして、おれが虐待の
目にばかり遭うのは、おれが、自分の自己管理というものを全く
しなかったからだと、おれは、おそまきながら気付いた。ぶっちゃけ
おれは、わるいことばかりして、いいことは何もしなかったのだ。
だらしがなかったのである。おれは、そう気づいてから、人にはちゃんと
礼儀を尽くし、どこに行っても公序良俗は、しっかり守るようになった。
すると、おれは、嘘のようにイジメ(ハラスメントとも言う)に遭わなくなった。
おれは、自己管理の大切さに気付いてから、毎日猛烈に汗水流して
真面目に働くようになった。知人、仲間も増えた。そして今の定職を34年
やっている。
だが、おれは、昔のトラウマが未だに根強い。おれは、平成の始めから、
いつ、愚連隊みたいな輩から、喧嘩を売られるか、分からないと心配
しながら生きてきた。おれは、昭和末から、常に自分の誠実さというのを
真摯に考えて来たし、おれなりに、真・善・美に則った生き方をして来た
と、おれは自負している。だから、こうなると、いくら何でも、このおれに
だって戦闘能力は自然に付いて来る筈なのに、おれは、相変わらず
華奢な身体のまま。おれは、一生、身体が未熟児のままだった。
それに、おれは、平成の始めから、「もう、争い、暴力沙汰は嫌だ、
平和が一番だ」という考えも出て来たのである。おれは、そのころから、
「僕は、世界中が平和でありますように、とまでは行かないけど、
僕も含めて、僕が本当に想ってる人たちも、老若男女問わず、特に
女性は老若問わず、みんな幸福になってくれないだろうか」などと、
感傷的なことを、良くもわるくも考えるようになったのである。
私は、昭和末から、ほとんど喧嘩はしたことないが、やはり、時々
日常生活で、ありえない人物に出喰わすのだ。私は、出来るだけ
穏便に済ましたいし、神対応とやらが出来れば、それに越したことは
ない。だが、やはり、ありえない人物とやらに遭うと、流石に焦燥と
なるし、「怒るときは怒らないとダメだ、君!」と、おれも、今迄まわりの人
に言われた。おれは、相変わらず、熟年になっても、怒ることもできねえ
のさ。勇気なんて出そうと思って出せるもんじゃないから、みんな苦労
してるんだぜ。おれは、よく、ここまで生きて来れたものだと思う。
ああ、おれは、生まれ変わったら、喧嘩もSEXもバリバリ強いやつに
なりてえ。でも、よわい立場のひとたちがお気の毒だという考えも根強い。
おれは、天使にも悪魔にもなれない・・。私は、無抵抗主義者ではない。
調和主義者だ。