哲学者の言葉、何か知ってる?
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えー、私は、哲学なんてそんなもの全然分かりませんな。
でも、知ったかぶりでも何でもいいから、とにかく書いて
みましょう。
パスカルの、「人間は考える葦」
どーいう意味なのか、私なりに考えますと、にんげんの心は
絶えず矛盾し葛藤してます。ひらたくいうと、ま、悩みのない人
なんていません。人は小さい時は自己中心的な世界観を持って
るものですが、だんだん昂じてきて、「人は自分だけ幸福になる
ことばかり考えてはいけない。他人や社会全体が幸福になること
も常に考えないとだめだ」と、大なり小なり考えるようになるのでは
ないでしょうか。こういうのを公共心と言いますが、人はこれをバネ
にして、キャパシティをつちかって夢も恋も叶えてゆこうと一生懸命
努力します。しかし、現実はおいそれと理想通りゆきません。本人は
凄い頑張ったのに、挫折する人が殆どです。病気になったり怪我を
した人もいるでしょう。袋叩きに遭った人もいるでしょう。失恋もし、
裏切られた人もいるでしょう。にんげんは全世界の中で無力ではかない
存在なのです。でも、そのことを承知の上で、人は、これが人生か、もう
一度!という姿勢を持つのではないでしょうか。人間は考える葦という
のは、生きるのに行き詰まった人が、更に、真・善・美について深く
追及してゆこうという構えを言うのではないでしょうか。
また、デカルトの、「我思う、故に我あり」 というのも、
人は、万人が、いつプライドをズタズタにされるか分からない
のです。私等人間の依って立つ処は砂上の楼閣なのです。
でも、いくら人はボロボロにされようと、考えてる自分自身が
いる、ということだけはレッキとした事実です。たとえ、身を
持ち崩すことがあっても、おれはおれだ、あるいは、私は私以外の
何ものでもない!自分は自分で良いんだ、と孤高の人物、一匹狼
になれという思想ではないでしょうか。誰が言ったのか、出典は
不明だけど、鎌倉時代のある禅師は「世界中で、ただ自分一人
だけだと思うべし、しかし心を盤石の如く保ち、周囲の人には教敬を
忘れるべからず」と言ったそうです。
ま、こんなとこでどうです?