日本全国いじめられっ子諸君よ。
私は想うのだが、いじめに遭わないどころか、
これにガンガン逆襲し、返り討ちにしてやる程の
勇者、猛者になれるためには、ひたすら自分なりでも
いいから、愛行(あいぎょう){つまり、愛の行い}を続ける
ことではないだろうか。真・善・美にのっとった生き方を
していくことではないだろうか。私は、いつだったか小説の
登場人物のセリフで読んだ。「最初っから強い人なんかいや
しないさ、強くなろうと思うか思わないだけなんだよ」。
力が強い、力がある、と云うのは、すなわち、それだけ愛深い
ということではないだろうか。私は、愛イコール力だと信じて
いる。これは、私の推測だが、私が就学生の頃はどこのクラス
にも、体力のあるこわもてタイプのやつは常に数人いたが、
かれらは、小さい頃から、頭の切り替えを何回もさせられた
やつらなのだろうか。頭の切り替えは難儀なことだ。確かに
辛いことだ。これを、もっと分かり易くいうと、死にそうな目に
何度も遭うということだ。かれらは、それを一つ一つクリア
してったから強くなったのだろうか。だが、そういう自分に
自惚れて被害者無防備の者を面白半分でバッシングする、
破廉恥根性が身に付いたのであるまいか。こいつらは
強いエゴイストだが、クラスには弱いエゴイストもいた。つまり
後者は前者の腰巾着であり、前者がよわい立場の者にハラスメント
をすると、それを煽ったり野次をとばしたりする。ドラえもんでいえば
スネ夫、ど根性ガエルでいえばイタチ(ゴリライモと常に行動を共に
してる坊主頭の奴)がそういえるだろう。こういうキャラのやつは
実は、お話しにならない程よわく、いじめられっ子と同レベルだった。
とにかく、いじめっ子はわるいことばかりしてるが、わるいことは
わるいことに過ぎない。卑劣な根性のやつはやがて自滅するし、
愛行を常にコツコツやってる人が、実は大変強いと信じる勇気
持とうぜ。