実は、僕は、96年から03年まで東洋大学の通信教育を
受けていた。何と8年も在籍して卒業できなかった。
「馬鹿野郎・・ 毎年学納金だって、べらぼうな金が掛かった
だろう、何のためにそんな無駄なことやっていた・・」と人は
いうだろう。でも、僕の話を兎に角聞いて欲しい。
僕は、就学生の頃は病気のため、(自閉、分裂症)
学業に専念できなかった。成績が常に偏差値の平均以下で
あり、同級生に散々馬鹿にされ続けてきたことが、涙が出る
程悔しかったのだ。学歴のない僕は、どうしても大学卒という
肩書が喉から手が出るほど欲しかった。僕は小・中・高等
学校と、自己管理がでたらめで、ものごとに一生懸命取り
組んだとか、本当にものごとに真剣に悩んだことなんか、
一遍たりともなかった。僕はドラえもんの、のび太みたいな
やつだったのである。
しかし、90年代前後、やっと頭がスッキリし、僕はまともな
社会人になったが、元々僕は学問に対する情熱は人一倍
強かった。本当に僕が就学生の頃から、まともなやつだっ
たら、札幌大学、北海学園大学は楽に入れただろう。
僕は東洋大学通信教育を受けることにした。僕はそれだけ、
今の今まで、いろんな哀愁を積み重ね、それを理解するだ
けの自分自身の資質もそこそこだと思ってたからだ。
決してニート感覚で受けたのではない。手続きちゃんと
取って、教材・書類が来ると僕は大張り切りで取り組んだ。
リポートは大体、月に一冊のペースでポストに投函した。
僕は、あの頃は遅れて来た青春だった。学府の学習に
こんなに真剣に向き合ったのは初めてだったからだ。
大体、年に15冊は提出した。
しかし、思うようにはいかなかった。
いくら、リポートを提出してもしても不合格にされて
しまう・・。 僕は一冊一冊自信を持って書き上げた
のだが。したがって単位が中々貯まらない。
リポート判定が辛すぎるのだ。
僕は、結局8年も在籍して取得した単位が、驚くなかれ
僅か54単位であり、しかも、評価もAの課目か3つだけ・・
惨敗・・。僕は03年退学届け出した。