鎌倉時代、8代目執権・北条時宗は13世紀後期

モンゴルのフビライが、日本を侵略しようと考えた時、

これを徹底して応戦したひとで有名です。

ところが、このモンゴルというのは当時、ヨーロッパ

まで勢力を拡張した恐るべき大国だったのです。

モンゴルは何度も日本に使者と文書を送り、日本

を散々恫喝したのですが、時宗は少しも恐れず

メチャクチャに強気なひとで、モンゴルの特派員を

ことごとく斬首してしまいました。怒ったモンゴルが

斯くして日本の博多湾とかに数万という兵隊を

出兵させたのですが、それがいわゆる文永の役・

弘安の役ですね。いずれも、どーいうわけか大暴風

が偶然起きたこともあって、結果的には日本は時宗

の指導力で見事、モンゴルの侵略をしりぞけたのです。

 頼山陽は、「時宗、胆甕{たんかめ}の如し」と感嘆

したといいます。例えば愚連隊の集まりのとこに武器

も何も持たず、単身で殴り込みしたとしたら、誰だって

無鉄砲だと思うでしょう??

 

 ところが、この時宗は小さい時は内気者、小心者と

言われてたといいます。

 時宗は、長じて来て、「武士の指導者たるもの、

こんなに臆病でどうする?」と思慮に明け暮れてた

そうです。「臆病の解脱法は何かないものか・・」

 そんな折り、建長寺に身を寄していた禅僧・無学

祖元が時宗の心の顧問となるのです。

 

 祖元は時宗に 「一切の妄念思慮を断ぜよ、一切の

念処のよって起こる源に徹せよ」と教えを説いたと

いう。「そのために座禅を組め」と奨めたと云う。

「世界中でただ自分一人だけだと思え。しかし周囲

には常に恭敬を忘るべからず。」

 時宗は多いに参究することがあった。

 

 何だか、僕の今回のブログは、梶原一騎の鎌倉版、

ドラえもんとのび太の北条版、ってとこですかネ。

 でも、私は若い頃、この逸話をある本で偶然読んだ

のですが、多いに考えるとこがありました。