僕は暇です。なんかブログのネタ探してます。

まあ、書くです。

 

 80年、東大生に、「あなたが一番好きな作家は

誰ですか?」と、ある出版社がアンケート取ったら

筒井康隆氏が第一位でありました。

 大抵の人は{時をかける少女}のひとといえば

わかるだろう。

 

 吾輩は、いい歳して業界人、著名人のトラブルとか

スキャンダルのはなしが大好きな変質者、下品男。

こういうはなしを推理して考えるのが、好きなアホウドリ。

(笑)

 わたしは、筒井康隆氏と赤塚不二夫氏は仲わるかった

んだろうなあ、と一人でこっそりニヤニヤしている。

 ふたりとも、ドタバタ・ギャグ・フィクション創作者である。

 ふたりは、なぜ不仲なのかと、わたしが推理するのか

と云うと、

 76年、新潮社から、筒井康隆読本、って出たのだ。

新潮社はむかしから、キャリアのある人気作家の

特集号時々出版してるのだ。当時高校生の僕は

筒井さんを耽読していた。本誌ももちろん読んだ。

 それはいいのだが、本誌の企画のひとつに当時

人気マンガ家数人が、筒井氏の小説数編をイメ―

ジ・イラスト化していた。松本零士氏、モンキー・パン

チ氏、谷岡ヤスジ氏、どおくまん氏、・・あと、誰だっ

たかな?・・

 その、キャストの一人に赤塚氏がいたのだ。

筒井氏の70年代始めの発表作に、「霊長類南へ」

という長編があった。わたしは数年後高校一年の

春休みの時、多いに諧謔(かいぎゃく)して、夜通し

読み耽った。これは、某大国が核ミサイルを連続

誤射し、世界中ミサイルの雨になってしまう・・

という大パニック小説である。それを全編ギャグの

内容にした小説である。本編のラストは、すっかり

ゴーストタウンとなり果てた東京の、かつての大

都市の元車道に、たった一匹のごきぶりが餌は

どこかにないかと、必死に這っている・・ この

場面は当時有名だった。それはいいのだが、

赤塚氏がそれをイラスト化したのだが、

な、なんじゃあ!??これ本当に赤塚氏が書いた

のかぁ?これのどこが、赤塚さんの画だ??・・

と、驚いたのを僕は今でも憶えている。へたな画

だった。よく出版されたものだ。

 

 その数年後、タモリさんが、赤塚氏と同じく筒井氏

も発見者の一人として著名になった。70年代前後

から、赤塚氏と筒井氏は面識があったのだろう。

 

 それからまもなく、週刊少年マガジンに、赤塚氏

は三部作で、筒井氏の連作集「家族八景」を{ハウス

ジャック、ナナちゃん}と改題して新連載したが、出色

の出来だった。赤塚さんと筒井さん和解したのか??

ひよっとして、タモリさんが仲介したのかな??