国民的マンガ家、赤塚不二夫氏は70年代なかば

から元気なくなってきた。

 少年マガジン新連載の「建師 ケン作」も、サンデーの

「のらガキ」も、相変わらず画は抜群に上手かったが、

さっぱり盛り上がらなかった。 前者は珍しくシリアスマンガ

であり、牛 次郎氏原作だったが、赤塚氏は「なんだ、

釘師サブやんがケン作になっただけだったぜ」と、言っ

てた。

 それより、かれの舎弟であるタモリさんがこの頃から

注目されるようになり、タモリさんの発掘者としてもっぱら

知られるようになった。


  しかし・・ 77年週刊少年マガジンの年の暮れ近くの

三部作「ハウスジャック ナナちゃん」は、僕は

{赤塚さん、久々にやった!!}と思った。

出色の出来だと思った。 筒井康隆氏の「家族八景」を

原作にして改題して発表したのだ。


 なんも、評判にならなかった。大変な力作なのに・・


 それにしても、本作は赤塚氏は明らかに、誰か

女流マンガ家と共同営業していた。主人公の七瀬を

書いたのは一体誰なのだ・・・??


 本作は単行本に収録されたこともない幻の傑作

なのだ。


 赤塚さんは新趣向で、某女流まんが家と協力で

原稿脱稿するようになったのだ。ナナちゃんが連載

終わると次は、遠藤周作氏原作の「おバカさん」を

同じようにマンガ化した。読み切りの久々の天才バカ

ボンも・・ 氏は新境地を開いたのだ。しかし例の

謎の女流マンガ家は ネットで調べても記録が残っ

てなかった・・。