04年、いうまでもなく僕は精神分裂をこじらせ

参っていました。食欲不振と不眠に悩まされ、僕は

三度のご飯は刺激の強いものは食べる気になれず、

コンビニで買ったチーズケーキ、カスタードプリンとか

子供のおやつみたいなのを細々取っておりました。


 この頃、僕は現在の病院に変わったのでした。

 あの頃は、ぼくのまわりのひとも「あの時のあなた、

随分元気なかった」、「顔色わるかった」、「まるで

腑抜けみたいな顔してた」っていってましたな。

 僕は当時、目方が6~7キロ減りましたな。


 当時の世の中は何があったかと云えば、イラク

にテロリスト集団がおり、人質の公開処刑を世界中

のインターネットでオンエアするというありえない

ことやってたな~ (;_;) おれは当時貧血で倒れてた

かもな・・。

 そして、この年、東宝の長きに渡って続いたゴジラ・

シリーズが打ち切りになり、最終作が「ゴジラ・ファイナル

ウォーズ」でありました。オレは今更ゴジラでもなかった

が、とにかく観にいった。


 僕は当時、今でこそなんでそんなアホなこと考えて

たんじゃ?と思うけど、あんときゃ、真夜中近く押入れ

を開けると魑魅魍魎とやらが、バァ!と出てくんじゃ

ないかと少し考え、押入れん中開けれなかったぜ~

( ;∀;)(+_+)('ω')


 でも、わっしは、やっぱり音楽観賞好きであり、同年

ぼくの地元で、それぞれ大体秋頃、鈴木雅之さん、

倉木麻衣さんがライブ演ってましたな。いずれも

同じ会場であり、ぼくの地元では2千人位入れる大きな

規模の会場でありました。

 鈴木さんは、昭和末ソロになってから大ファンになり

ましたな。とにかく声が渋い。

 麻衣さんは、宇多田ヒカルさんの対抗馬というふれこみ

でデビューし、これまた声が切なく甘い。かのじょは当時

大学卒業したばかりであり、色香が益々増しましたな。

 ぼくは、ライブゆきましたとき、必ず観客席からその

アーチストの名まえ時々呼びますのですが、鈴木さん

の場合は、ぼくが「鈴木さーん!」と呼ぶと、なぜかほかの

お客さん、ハハハハ・・・ って笑いだしてたな・・??

わっしは浮き上がったことした憶えありませんし、わっしも

後悔なんかちっともしてませんな。舞台の鈴木さんも

「えー、男性の方に声援されちゃいまして・・ 」って苦笑い

してました。


 とにかく、ライブはいつ行ってもすっきりする。

 鈴木さん、麻衣さん、いずれもぼくは終演になると

意気揚々とうちに帰りました。真夜中近くでしたが

うちに戻ると父も帰ってきていてTVのゴールデン洋画

見てました。ぼくは、東向の窓のすぐ下にあるベッドに

横になり、こころもゆったりし、からだもぼくに優しく

命のせんたくしておりました。ぼくは、ああ、この平和と

自由感がずーっと続いてくれたらなぁ、と祈る感じでした。


 それだけ、当時私は疲れてたんですワ。