8世紀ころの歴史上の人物であります。

 藤原鎌足の孫で、名は光明子。または安宿媛(あすかべひめ)。

 一般のひとから、皇后になった最初の人であるト。

 仏教徒であり、東大寺、国分寺をたてることを天皇に薦めたひと

であるト。みなしごや、病人、身寄りのない年輩のひとをやしなう

悲田院(ひでんいん)、施薬院(せやくいん)建てたひとだそうです。


 つまり、介護、ケア、ヘルパーの人ですね。

 藤原氏がスポンサーだったんですな。


 それはいいのですが、彼女は例によって勤務中、今でいう

ホームレスの老人、しかもハンセン氏病の末期患者かと

思われるきたない、みにくい人物がひょっこり現れ「オレの

面倒見てくれ」と言ったト。さすがの彼女も最初はためらって

いたが、熱心な信心家の彼女は例の老人をちゃんとお風呂

に入れてあげて、身体も丁寧に洗い、なんと老人の、うみ、・・

まで口ですすってあげたト・・  すると、その老人はたちまち

金色の光をはなつ仏のすがたにポヨンと変えたト。そして

立ち上がってそのまま、天高く昇ってゆかれましたト。

これが老人の正体だったのだ。僕は小学生の頃、この逸話

いろんな児童誌で読んだの憶えてます。


 こういう伝説が作られるほど、光明皇后様は思いやり深い

ひとだったらしい。僕はこれは案外史実なのでは・・ ?

って思ってますね。


 オレの記事あいかわらず理屈屁理屈だらけですか?

 オレはそんだけヒマで寂しくアタマの分裂持て余してる。

 凛々しさなんてなんもない俺。


でも、この光明皇后様は70年頃までは日本人ならちょっと

頭のいい人なら誰でも知ってる著名な歴史の人物だったの

ですが、それ以降いつのまにか忘れられたかな。