僕は随分むかしの話ですが、70年代前半頃北海道の某市の某区の

あまり有名でない高校に入学しました。 田中角栄氏が総理在任中で

当事日本は第一次オイルショックで大騒ぎの頃でした。 僕の入ったクラス

は僕の知ってるやつは一人もおらず、最初は心細い感じでした。

 ところが、同クラスの女の子で初対面なのに僕を見るなりモーションを

かけてくださった方が、何名かおりました。やっぱり女の子は高校生とも

なるとめっきり色気づくものですね。その方のおひとりにH・Kさん(暗号名)

がおり、小生が何をやっても誉めて下さるのです。しかし僕のほうは自分が

まだ思春期に入った頃を、充分自覚しておらず、おまけに私は当時病気気味

だったので彼女のことを特に気にとめてませんでした。


 ところが、冬休みの時僕は当事住んでた二階建ての一軒家の寝室に

真夜中近く天井からぶら下がった裸電球消して、畳に敷かれた布団に

何気なくごろんとなってました。(暖房が何だったかは忘れました)

 急に僕のこころに彼女のことが走馬灯の様にリアルに現れ、僕はじっと

してられなくなり、ガバッと起きるとぼくは自分の部屋にかけこむように

行き勉強机に向かうと、H・Kさんに手紙(・・)を一気に書き上げ、封筒に

入れて切手貼って{当事は50円だったっけ?}、着替えると当事自宅の

近くにあった馴染みの郵便ポスト{当事は筒型だったかな?}に投函したの

でした。



  しかし、ラブレター・・なんてしゃれたものじゃなかったのです。

僕は当事若気の至りから、H・K様に随分常識はずれなことも書いて

しまったのです・・・(赤面)

 冬休みが終わり、三学期に入り、ぼくは自分のしでかした事の重大さにも

気づかずポカーンとした顔して登校してました。H・Kさんも何も言って来な

かったです  でも、さすがに焦燥としていたお顔でした。彼女は身長155cmくらい。

ミディアムな髪型のお嬢さんでした。髪の毛がめっきり増えてロングヘアー気味

になってたのを憶えてます・・。


 やがて、ぼくらは2年生になり一学期に入ってから一ヶ月ちょっとたった時、

席替えがあり、当時の高校の教室は二列に並び同性が隣同士で座り、なんと

彼女が僕の前の斜め右の席で、彼女は驚いてました。

  やがて、ぼくは彼女にとうとう、例の手紙のこと人のいるとこでバクロされ

ぼくは真っ赤に狼狽しました (笑)・・ 彼女は金色の怖い目して憤ってました。


しかし、前述彼女のほうも、僕にまんざらでもなかったのです。それ以降

彼女は椅子に座ってて、ご自分でご自分のスカートの裾を左手のひとさし指と

親指で摘まみ、めくり上げ、僕はしょっ中芸術品を鑑賞させて頂いたもの

でした。(笑)ぼくが若い女性の大腿部、じかに見たのはこれが初めてでどぎも

抜かれたです。何しろ彼女は僕の向かって、ななめ右の席ですから角度的にも

もろに目に入ってしまうのです。彼女はもともと、コケットな女の子で学校でも

著名だったのです。

H・Kさんは、僕が就学生の頃、いままで本ブログで散々書いた舞 悦子さんと

同時に僕が大好きな女性だったのです。

H・Kさんの肌着の色は?デザインは? それこそいろいろありました。

ガラパン、って当事は言ったっけ? 白い生地(きじ)に、ある果物のプリント

がびっしりついたものとか、七色、赤い水玉、花模様がいっぱいついたの

とか・・・     やがて夏休みになり、それが終わって二学期になってまたまた

約一ヶ月たって、席替えがありぼくと彼女は、お互い離れた席なりましたが、

その後彼女はどういうわけか、ぼくのこと随分素直に慕ってくれたです。



  しかし、いかんせん、当事の僕は病気でしたから、やがて彼女に愛想尽かされた

です。 僕はなぜ、早いうちから自分の自己管理をちゃんとやろうという姿勢を

持たなかったのか? だったらわたしも高校生時代、もっといい想い出が沢山

作れたのにと、今でも残念に思う。

わたしは、学校卒業して数年後、地元の夜の繁華街で一回だけ単身の彼女に

会いました。 かなり、たまげる程派手な化粧でした。