とにかく挿絵がかっこいい✨
家康に影響与えた武将の1人
織田信長と家康との関係について考えよう
信長は今で言う「ヤンキー」みたいな人
でも
それでも信長についていこう、信長と組もうと思った理由があったと思うんですよね
それが憧れなのか、怖さなのか……ある種の勝負師としての運の良さなのか
確かに……
家康は結局、先見の明があったんだと思うんですよね。長篠設楽原の戦いでも同盟を組んでいる織田信長に援軍を頼んで圧勝したことによって
家康の株はぐーーーーーんと上がったんですからね✨運も実力のうち!!!!!
信長との同盟って最後まで破られなかった
家康は信長との同盟を一生大切にしたし
それが信長からも家康は絶対裏切らないという信用を獲得していた✨
あの時代……こんなに信用し合う関係ってほぼなかったそうで……
結果
約束は守るという姿勢を貫いたことが家康を天下人にしてくれた✨
さぁ、最後のピンチ
本能寺の変!!!
家康41歳!!!
やべぇ……
つまり……来年……
18からの若い家康から
脂の乗った41歳の家康まで
全て松本潤で見られるという幸せを今更ながら実感して
咽び泣く(涙)
おいおいおい
潤担くっそ幸せじゃねぇか!!!!
本能寺の変とは皆さんもご存知の通り
天下統一を目前にした織田信長が明智光秀の謀反に倒れた事件ですよね。
実は本能寺の変の時
家康は信長のもてなしを受けて堺で遊んでいたんですよね……
本能寺の変で信長が倒れたとなると
信長と同盟を組んでいた家康は明智光秀に命を狙われる立場になっちゃうわけですが
家康は戦うための武器を持っていない(涙)
三河に帰ることにしたけれど、全て明智光秀が道を塞いでいる可能性がある(涙)
そこで家康は「伊賀の山」を超えて行くことにしました……
これが「伊賀越え」です✨
そして潤ちゃんも伊賀越え
この時家康と一緒にいた家臣は
わずか34人
家康の首をもって明智光秀に捧げることで褒美をもらおうとする輩が山ほどいる伊賀の山を超えなけれならない家康……
さて、ここでどうするポイント!!!!
伊賀は小さな地侍がいてそれぞれの集落で戦わなければならない。
さぁ、どうする松本潤!?
①襲ってくる地侍とひたすら戦う
②とにかく猛スピードで駆け抜ける
③頭を下げて通してもらう
いやぁ……これどれも有り得るし、どれも一歩間違えたら死ですね……
悩む家潤……
①はないかな……
その度に戦ってらんないんじゃないかな……
頭下げて通してもらえるほど甘くないんじゃないかなっていう気がする
悩んだ末に出した答えは
もう分かんないです。
わからんのかーーーーーーーい(爆)
実は
全部なんです💧
汚ぇよ!!選ぶんじゃないのかよっ!!!!!
その影には身体を張って家康を守った家臣の頑張りによって家康は絶対絶命の危機を乗り越えることが出来たのである✨
結果……
1人も欠けることなく伊賀を超えることができたのでした✨
桶狭間の戦いから22年。その間に徳川というチームが出来上がったということなんですかね
なんか
感慨深いです……
その後、
家康は数々の戦いに勝ち抜いていきました。
戦場で高々と掲げられたのは
「厭離穢土」「欣求浄土」の旗印
戦乱の世を終わらせ、安心して暮らせる世の中を
作りたい
家康、生涯の目標に向かって突き進んでいきます✨
そしてもうひとつ……
数字の「5」
これは仲間を意味する文字です。
仲間を大切にし、みんなを仲間にする
そんな思いが込められていたのでしょう……
私的には
最後に
家康が「5」にこだわったことが嬉しくて
これはきっと
偶然じゃない
そう確信した瞬間でした✨
今回の「どうする松本潤?徳川家康の大冒険」で
私は徳川家康への興味がすごく湧いて
来年、絶対徳川家康にハマる気がしてなりません……(笑)