このカテゴリーでは、旅行した際に行った、歴史的な所と、その歴史の関係を備忘録的に書こうと思います。
せっかく行っても、そこでどういうことがあったのか知らないともったいないので!
というか行く前に予習的にすべきなんですが、いろんな所へ行ききってしまった感があるので、笑
復習的に書いていこうと思います。
今回は台湾に行ってきました。
TWICEのツウィちゃんが、台湾の国旗を振って、少し問題になった件とか知っても、なんでそうなるのかよくわからなかったんですが、中国の人からしたら、台湾も同じ国だから、台湾の国旗を振る=中国からの独立、という政治的な意味にとられてしまったみたいですね。
・「1879年に完成した、北門」
清代の台北府城の唯一の遺跡。日清戦争の結果、伊藤博文と外相睦奥宗光により、1895年に下関条約が締結され、日本は、台湾、遼東半島、澎湖諸島を獲得した。1895年、日本軍は、日本に割譲された台湾接収のため、この門から台北に無血入場。
・「台湾大学」
1886年、森有礼文部大臣のもとで学校令が公布され、国家主義による近代教育制度が確率された。1897年、帝国大学は、東京帝国大学と改称し、このとき京都帝国大学が創設された。その後、東北、九州、北海道、京城、台北、大阪、名古屋に帝国大学が創設された。
・「日本統治時代の1899年に、台湾発の洋風公園として作られた、 二二八和平公園」
二二八事件の際に、全国へのアナウンスがここで行われた。
・「日本統治時代の1919年に作られた、台湾総統府」
日本は台湾統治のため、台湾総督府をおいて、初代総督に樺山資紀を任命し、軍政をしいて武力で台湾を統治した。
第二次世界大戦時に建物の左側が破壊された。
・「1980年に、蒋介石を記念して作られた、中正紀年堂」
第二次世界大戦の末期から、国民党と共産党の衝突が再燃した。1947年、国民党幹部の腐敗に民衆は怒り、二二八事件が起きた。 1949年、国民党の蒋介石は台湾に逃れ、ここで中華民国政府を維持した。共産党は、毛沢東を主席に、周恩来を首相とする中華人民共和国の首都を北京とする宣言がした。この際、中ソ友好同盟相互条約を結んで、東側陣営に加わったが、アメリカは台湾の中華民国政府を中国の正式代表とする立場をとり、対立した。1952年の、サンフランシスコ平和会議には、中華民国、中華人民共和国ともに呼ばれていない。1971年、国連総会は中華人民共和国に中国代表権を認め、台湾の国民等政府の追放を決定した。1972年、ニクソン大統領が訪中し、毛沢東と会議をし、中華人民共和国を中国と認めた。1972年、田中角栄首相は日中共同声明を発表し、1978年、福田赳夫内閣の際、日中平和友好条約の締結がされた。
最近のニュースだと、アメリカ政府のサイトから、台湾の国旗がなくなったことに、関係性への変化はないが、中国との一定の配慮との見方。
疑問点
・国民党と共産党が戦ってた背景は何か
・どのような流れで国連は中華人民共和国を認め、中華民国を追放し たのか
受験のときにあれだけ叩き込んだ単語も、叩き込んだだけで、何の意味もない単語だったんですよね〜。それが今になって、重要さがわかる。世界の人との共通知識がないと、理解ができないことが多いです。今からでも知っていかないと。
参考文献
『地球の歩き方 台北』
『日本史B 一問一答』東進ハイスクール
『詳説世界史B』山川出版社
『詳説日本史B』山川出版社
