読むことは楽しい

私は読書がきらいでした
昔、中学生のころ
ゲド戦記の本を毎日国語の宿題にだされていて
コピー機で印刷されたやつを先生がくばっていた
なんて紙の無駄遣いなんだと本当におもっていました

私はその宿題が大嫌いだった

そもそも「作者の気持ち」を読み取らないといけない現代文(国語?)はすごく苦手で

私が読んで感じたことをかくと
正解にはならないから
現代文は苦手だった

そんなの当たり前だけれども

私は作者じゃないのだから
気持ちはわからないでしょう。とおもっていた
それを読み解くのが現代文というのは百も承知ですが

そのかわり
古文や漢文はだいすきだった

色っぽかった

たぶんそれは、古文や漢文は
「作者の気持ち」を聞かれなかったからかもしれないと
いまではおもう

自分が生きているはずもない時代の
自分のしらない時代の言葉を
読み解くのは

そのときに生きてる人たちの言葉を感じるのは
とても色っぽくて好きだった


、、


私は本当に本とは疎遠で
Web小説は読むけど活字は読まなかった

でも、江國香織さんの本を友達に紹介されて
みづたんはすきだとおもうと言われて読んだら

本当にすきな言葉達が綴られていた



この活字嫌いが4冊も自分で買った
最初は短編詩集(すみれの花の砂糖漬け)から買って
少し長い文章のものも、読めることに
感動している


私は人生ではじめて
自分で読むことを選んでるのだ

今までは、勉強のために
宿題のために仕方なく読んでいて
だから本当に本がきらいだったけれど

自分で"読むこと"を選んで読む本は
こんなにもワクワクするのかと本当におもう

読めば読むほど自分のエネルギーになる
読めば読むほど自分の血肉と混ざる

そんな感覚になる


、、、


もしかしたら私たちは
自分で選んでるようで選んでないのかもしれない

そもそも"選ぶ感覚"もわからなかったりするだろう

だからこそ
少しでもいいから意識して選んでみよう
日常の一つ一つで
べつに失敗しようが支障のない程度のものから

選んでみたら
同じところにいるはずなのに
世界が変わったように感じるから

この活字嫌いが
活字もいいかも。とおもえるような出会いを、するのだから

ほんとうに"自分で選んだ先"なんて
検討もつかないことだらけだけれど



みづき