誕生日の日に、ケーキを食べてました

ろうそくに灯をともし"29年"を感じると、ぐっとくるものがありました

私は、愛されてしかなかったんだと本当に思った
今まで本当に愛されて生きてきた

それは、辛いことや苦しいことがなかったというわけではない

人並みかそれ以上の辛さや苦しさは経験してると思うけれど、表に出さないから「幸せで苦しみなんて知らなそう」と思われることが多い

でもそれは違う
不幸であったとしても、不幸アピールをしてないから知らないだけなんだ

それは、無理にポジティブでいたわけでもなくて
悲しいときは悲しいと、辛いときは辛いと沢山涙をして
苦しさや辛さすらも抱き締めて生きてきた
自分だけはどんなときでも自分を抱き締めて生きてきた
そんな自分がいただけなの

私は
誰かを愛せる自分であるために自分を一番大切にしなければいけない
と思ってます

自分が苦しいときは周りを大切にできない
自分が辛いときは周りに気を配れない

自分を満たして
自分を幸せにして
自分をたいせつにしてあげて

そしたら、そのエネルギーが溢れたときに、絶対に周りも勝手に大切にできるようになるから

だから、まずは自分
自分の気持ちを優先にするの

そうじゃないと自分がつぶれて相手を加害者にしてしまう
自分が勝手に相手を優先したがために
相手が見返りをくれなかったら攻撃し出す

私はそれのどこが、"相手のため"なのかわからないのです
相手のためにしたことで、相手を加害者にすることの、どこに愛があるのかがわからないのです

自分が一番だというと自分勝手といわれるけれど

自分が一番であっても、相手をぞんざいに扱うわけではないし、誰かを蹴落とそうとしたりなんかしない


自分が一番だということは、自分の大切なものも絶対に大切にしたくなるから

だって、自分にとって大切なものを大切にすることも、自分のためになるんだから


ただただ勝手に凛と咲いて
苦しさや悲しさを感じる自分すらも抱き締めて
満たしていくと

それは経験となり、その人のこくとなる

そして、自分が一番だったはずなのに、なぜか周りに大切な人が集まり、なんの無理もせずに勝手に愛されてしまうものなのです


みづき