関東関西ダブル中学受験体験記

 

こんにちは、ことり🐣です。

現在はとある大学の理工学部に通っているリケジョです。

 

今回は私の中学受験の体験記を書きたいと思います。

 

タイトルにもある通り、関西と関東のダブル受験をしました。

 

ダブル受験はなかなかレアだと思うので、誰かの助けになればいいなと思っています。

 

もう何年も前の話になってしまいます。少し長いですが良ければご覧ください。

 

 

はじめに

なんでダブル受験したの?

 

 ずばり、親の転勤です。母からは、もしかしたら転勤で関東に行くかもと伝えられていました。なので何度か関東の学校の学校見学にも行っていました。

 

 

 

ではここからは、時系列順にいろいろ書いていこうと思います。

 

ある日突然、中学受験をしようと思った 

 私はおじいちゃんが大好きで、憧れの存在でした。そしておじいちゃんと同じ大学に行きたい!と思っていました。そんな中ある日、高校受験はライバルが多いが中学受験はライバルが少ない上、今少し頑張っただけでいい高校にそのまま行けるかもしれないことを知りました。これはやるしかない。と思い、両親にお願いしたのですが、父がいい顔をしませんでした。結局、一生懸命頼み込んで、一筆書いたところで許可が下りました。

 

 

塾探し

 私がある日突然中学受験をしようと思った時にはすでに小学5年生が終わる頃でした。今まで公文に通っていて、学力は普通でした。ですがこのギリギリの時期に受け入れてくれる塾を探すのは大変だったそうです。

 なんとか入塾テストに合格し、N能研に通うことができました。

 なぜN能研にしたかというと、関東受験の可能性があることをすでに考えていたため、関東でも展開している塾にしようという、母の策略だったそうです。

 この策略は功を成し、母は関東の受験校を決める際に関東のN能研の校舎に電話して相談に乗っていもらっていました。本当にこの塾にはお世話になりました。

 

 今でも大切に会員証を保管しています。

 

 

 

 

偏差値、やばすぎた。

 入塾してすぐに、全国模試を受けました。なーんにも中学受験の勉強をしたことがなかったので、具体的な数字は忘れてしまったのですが先生がびっくりするくらいの偏差値をたたき出しました。算数は点数が一桁とかだったような気がします。先生には、「入ったばかりなので気にしなくていいよ」と言われました。私は偏差値とは何かを理解していなかったので、気にするも何もありませんでした笑

 

 

学祭に行ってみた

 転勤があるかも…と言われていたので、夏休みに祖母の家に行く途中で関東の中高一貫校の学祭に参加したりしました。校風を知ることができて良かったと思っています。

 

 

塾が楽しい。

 なにより塾が楽しかったです。塾の先生が本当に面白く、授業に行くのが毎回楽しみでした。

 算数の授業でバスの時速を計算する問題がありました。先生に答えを聞かれ、「答えは120㎞/hです!」(誤答)と言うと、「そんなバス誰が乗るねん!いややわ!」と、間違いを笑いに変えてくれる先生がいました。クラスのみんなもそれを笑ってくれて、次は間違えるもんか!と思うようになりました。

 ほかにも、杉田玄白と答える所を杉田畜白と答えたクラスメイトのあだ名を「すぎたちくはく」にする社会の先生がいたり、すごく真面目な顔で、文法説明の時に例文で「ぱんだ、ころんだ、しんだ」と言う先生がいたり、本当に楽しかったです

 あの頃の先生方には今でも感謝しています。勉強は楽しいんだ、と教えてもらいました。

 

 

いざ受験

 学校見学に何度も行き、関西の第一志望が決まりました。そして、いざ受験の日を迎えました。今はどうかわかりませんが、N能研の先生方は生徒が受ける中高一貫校の校門の前に、塾ののぼりを持って、応援に来てくれます。そして、温めたカイロを渡して最後の激励をしてくれるんです。なんと、私の第一志望校に激励に来てくれていたのは私の大好きな理科の先生でした。生徒が受験する学校は数多くある中、私の理科を担当してくれていた先生が、私の第一志望に応援しに来てくれたのは涙が出るほどうれしかったのを覚えています。もちろん上司に割り振られて仕事で来ているのは理解していましたが、人生初の試験の前に先生に応援してもらえたから頑張れたんだと思っています。第一志望含め、3校受けました。

 

 

第一志望合格!

 第一志望の合格通知はなんともあっさり、第二志望の学校を受けた帰りの電車の中で母のスマホから確認しました。母が「あら、受かってるわよ」と。(なんともあっさり)。私はびっくりしつつもうれしくてにやけて帰ったのを覚えています笑

 無事に第二、第三志望も合格をもらうことができました。

 

 

第一志望に行けない…?

 第一志望の合格を伝えるために、母が塾に電話していました。先生喜んでくれるかな?と思ってそれを盗み聞きしていました。しかし聞こえてきたのは、母が先生に「実は…」と関東転勤が決まったことを伝えているところでした。

 第一志望に合格したのに、転勤のせいで私は第一志望に通えないんだと知り、大泣きしました

 後日知ったのは、第一志望の試験日前日に関東転勤が確定したそうです。母は一体どんな気持ちで第一志望に挑む私を見送ったのでしょうか…

 

 

しかたないよね

 泣いていても仕方がないので、過去問を解くことにしました。家で勉強できないタイプだったので、電車に乗り塾に行き、誰もいない教室で一人で関東の中学校の過去問を解いていました。塾の受付のお姉さんに点数を報告して、褒めてもらえたのが唯一の救いでした。それからICカードではなくカードタイプの定期券で、乗った日付が刻印されるタイプだったので、この日付を毎日つけるのが小さな目標でした。

この頃の12月から1月の定期券も大切に保管しています笑

 

 

 

 

 

 

いよいよ2月1日

 なんで関東は2月1日固定なのでしょうか。平日だったので仕方なく小学校をお休みして、受験に挑みました。第一志望を決めて、チャレンジ校も増やして、合計4校受けました。

 

 

落ちた。

 さすがにチャレンジ校は落ちてしまいました。(それ以外はすべて合格)。ですが試験の実施が何回かあり、リベンジして2回受けました。そして、ダメでした。関西は全勝だったのでかなり落ち込みました。でも第一志望は合格できたので、そちらの入学手続きを進めることになりました。

 

 

チャレンジ校から電話が…

 なんと、繰り上げ合格の電話がありました。第一志望の学校もいい学校で、すでに制服採寸も終わっていたので正直少し悩んだのですが、せっかく受かったなら行きたい!と思いチャレンジ校に行くことを決めました。

 関東の受験にはミラクルがあると誰かが言っていたのですが、本当なんだな、と実感しました。

 

 

その後、関東に引っ越し、N能研の相談に乗っていただいた関東校舎の先生にお礼を言いに行ったりしました。

本当に多くの先生方にお世話になりました。感謝しきれないです。

 

 

こうして私の関東関西ダブル中学受験、7校全勝記録が出来上がったのです。

 

 

 

まだこのころの私は、後々転勤で中高一貫校を辞めて海外に行くなんて思いもよらなかったのです…

また別の記事で、海外転勤についてもお話したいと思っています。

 

 

 

 

長くなってしまいましたが、ご覧いただきありがとうございました。

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ことり