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モネオのブログ

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日本から海外旅行に行ったり海外に住んでみると、日本はいい国だ、日本人でよかったと感じたことがある人は多いと思う。そう思うきっかけは様々で、また何があると幸せと感じるか、人それぞれその基準は違う。

僕は社会人になってからある一定期間、仕事の関係で外国に住んでいた。当時の家はサービスアパートといって、家具家電付き、週に2ー3回掃除やタオル交換をしてくれる所に住んでいた。

居住国は、建設業やサービス業などに従事する他国からの出稼ぎ労働者が多い欧州の国で、僕の住んでいたアパートで掃除をしてくれるハウスキーパーも全員出稼ぎ労働者であった。

日本人まして田舎で育った人間からすると、出稼ぎ労働者ってそこまで馴染みがない。ぼくもその国に住む前はあまり意識はしていなかった。

住み始めてまもないある日、とある事情で、自分の部屋で知り合いの赤ちゃんを1人で預かる機会があった。ちょうどそのときフィリピン出身のハウスキーパーが部屋に掃除にきてくれていた。

掃除の最中、彼女は(その時泣いていた)赤ちゃんを見ると、少し抱いてあげてもいいかと聞いてきた。人の子なので少し心配したが部屋の中だったので許可した。彼女は嬉しそうな哀しそうななんとも言えない表情で赤ちゃんを抱き上げ、あやしたりしてくれた。そのうち赤ちゃんは泣きやみ眠りについた。

その時彼女は僕に、「赤ちゃんを抱くと自分が祖国に置いてきた息子の小さい頃を思い出すの」と言った。話を聞くと彼女には6歳の息子がいるのだがその息子は今、自分の親とフィリピンで同居をしているらしい。彼女はその息子と親を養うために働かなければならないが、祖国には仕事がないので遠いこの国に1人出稼ぎにきているとのことだった。

週6日連続、朝9時から夜9時まで12時間勤務。休みは日曜日のみ。家に帰っては1ルームの部屋に4人で集団生活。フィリピンにいる息子とビデオ通話をするのだが、終わりに必ず「ママはいつ帰ってくるの」と寂しそうに言われるのだという。彼女の一時帰国は1年に1回のみ許されている。4年前に来たので、2歳で息子と離れたことになる。

聞いてて胸が締め付けられる思いだった。彼女だけではない、大多数の出稼ぎ労働者が家族と長い間会えていない。

日本では、国内に仕事がないからという理由で家族を置いて海外まで働きに出なければいけない人は非常に少ない。職を失えば失業手当があり、セーフティーネットで生活保護もあり、必要最低限度の生活を営める。ずっと国内で。これって本当にすごいことだと思う。僕は出稼ぎ労働者が不幸とは一切思わないが、日本って本当に恵まれている国だと思う。



付き合う前の初デートにいった時のはなし。

僕はとある場所で知り合った彼女と映画館にいった。大きな映画館で、週末ということもありたくさん人がいた。

チケット購入後、上映時間まで少し時間があったので、しばらくカウンター前の広い場所で待つことにした。混んでいたので座る椅子はなく、2人で立って待っていた。ぼくの手にはドリンク二つと山盛りポップコーン1つがのったトレー。なんともそれらが不安定な形でトレーにのっていた。

僕がその不安定さを感じた後、数十秒後に事件が起きた。なんとある拍子にまだ全然食べていないポップコーンがトレーから床に落ちてしまったのだ。

僕は頭が真っ白に。ポップコーンは床にフワーッと広がり、近くにいて気づいた人たちは僕を見る(あーアイツ彼女の前でやらかしたな的な目で笑)。やっばどうしようと。。僕はとっさだったが、彼女に恥ずかしい思いはさせてはならんと思い、彼女に掃除の人を呼びに行ってもらった。その場から彼女がいなくなることで、注目から逃れられると思ったので。

で残された僕は民衆の注目を360度から感じながらポップコーンをかき集め笑、それをちょっと端っこに寄せ、、その場を掃除の方に引き継いだ。多分出来事的には2~3分だったと思うのだがもう1時間くらいに長く感じたw。

彼女は笑って大丈夫よーといってくれたが僕はもう完全オワタと撃沈。気持ち的に映画どころじゃないが、チケットも買ってるし上映時間になったので入場し映画を見始めた。

それがアニメの映画だったのだが、前半のワンシーンで、主人公の長~い帽子の中から大量の星がフワッと吹き出るシーンがあった。僕は星がポップコーンに見えてしまいw、あーこれまさに30分前に見た光景と思いながら観ていた笑

もうネタになってしまい、上映後も彼女に「さっきの星のシーン、デジャブか??」と突っ込まれる次第であった。


この出来事はたまーに思い出して恥ずかしい思いになる笑 

ちなみに最終的にそのコには付き合ってもらえなかった笑 ポップコーン男撃沈( ̄▽ ̄;) 次に生かすと決めた。。。




あることがきっかけで自分の生き方や考え方が変わった、もしくは変えたという人は結構多くいると思う。こういうのを転機っていうのかもしれないが、僕は2度そういう経験がある。今日はその1つ目について書きたい。

それは中学校の部活(今から20年程前)。僕はとある球技スポーツの部活に所属していたが、そこの顧問がすごく厳しい人だった。毎日練習内容はハードで、週末も土日両方ほぼ必ず部活があった。練習中はなかなか水が飲めなかったり、キツくて倒れたり、過呼吸になったりする仲間もいた。ミスると凄く怒られ、張り手と蹴りは日常(今の時代は許されないが、なぜ昔は問題にならなかったのか個人的には謎である)で、一番やばかったのは顧問がボールを両手で持ったまま生徒の顔面に思いっきりぶつけるやつ。痛くて顔を下げると今度はアッパーのごとく下から上に向かってバチン😵‍💫。

という感じで部活は肉体的にも精神的にもストレスがハンパなかった。1年生のときは頑張れたが、いよいよ2年生中盤くらいに気力の限界を迎えた。ぼくは部活に行かなくなり、それで学校も2週間くらい不登校となった。その間担任が家まで来てくれて相談に乗ってくれた。最終的には学校に行って、それっぽい言い訳をつけて顧問に部活をやめたいと告げた。

しかしその時顧問にいわれたのが、「おまえが将来生きていく中でキツいことは山のようにある。今辞めて逃げるのは簡単。でも人生そんなに甘くない」、、、結局辞められなかった(チーン😭)。

当時の僕にはこの言葉が妙に響いた。親や担任は相当参ってる僕をみて、辞めていいんじゃないかといってくれたが顧問は違った。よく考えたら周りの仲間は同じキツいしごきに耐えているのに、自分だけ休んでいる。しかも学校まで。苦しいことからただただ逃げている、そんな精神的に弱い自分にすごく嫌気がさし、恥じらいも感じた。そして今度は自分で自分に張り手(やさしくね笑)。これではダメだと僕は自分に言い聞かせ、部活に復帰し学校も再開した。

これ以降20年間生きてきて、顧問のいう通りキツいことがたくさんあった。でもこの中学の時の経験がいつも自分の精神の支柱となり、諦めず、逃げずにそれらを乗り越えてきた。当時すんなり部活を辞められたら、しめしめと思い気持ちの弱い自分のままで、その後の人生ろくなことになっていない可能性は大いにある。

顧問と当時支えてくれた担任や仲間に感謝である。。