弱者を救う世界を実現するって、言葉では簡単に言えるのですが、
もし、弱者を救う犠牲として、みんなが何かしらのペナルティーを受けるとするなら…その人を救うという選択をできるでしょうか?
めちゃめちゃ難しい問題やん…
こんな問題、初めから知らなければ、すんなりうまくいく世界なんだろうけどさ。
知らなければ、その救える技術は開発できないだろうし、開発者は、大きな十字架を背負って生きることになるのだろうか?
それとも、その十字架を全員が知った上で判断して、開発者の十字架をみんなでも背負って世界を動かしていくのか?
開発者は間違いなく善意で開発しているはずだから、そんな重たすぎる十字架は背負わせられない。
となると、その弱者さんを救う価値があるのか?とかそういった議論になるんだろうなぁ。
例えば、家族の誰かが弱者で、それを救いたい!全員が何かペナルティーを受けても良い!っていう気持ちはわかるんですよね。
それが、赤の他人の弱者となった場合に、同じように思えるかと言えば、それが難しいんですよね。
人類皆兄弟という考えがとても自分にとっては浅はかな意見だったと突きつけられるんですよね。
というのが、自分だけがペナルティーを受けるのであれば、自分の意見だけで良いのですが、そのペナルティーは自分だけにとどまらず、全世界のみんなにもっていう条件になった場合、自分の判断基準ではそれは決められない。
みんなにとってその人を救う価値があるのかどうか?そのペナルティーを補えるだけの価値があるのかどうか?ということに焦点があたりそうで…
それを考えさせる難しさや、伝えないことへの罪悪感、もしくは伝えてしまったために崩壊することへの恐怖との闘いになりそうだなぁ。
どうすべきなんだろうか?というか当たり前のように弱者も救って誰も悲しませないが一番正解だと思うんだけどさ。
実現できなかったとしても、やさしいウソを付ける人間になれるくらいは包容力を付けとかなきゃなぁ…
知らんけど…
って思ったけど、別の方法があるなぁ。
弱者を作っている世界ってものをそもそも変える必要があるってことか。今の世界は弱者を許容する世界ってことなんだけど、そもそも弱者は存在しない世界だったのが、技術を取り入れたことで、その副作用として弱者が生まれる世界になってしまったから、技術をすべて手放すことで弱者を作らないし、そうすることで強者もペナルティーを被らない世界になるんじゃないかなぁ。
ウソがいらない世界になるってことか。
今の世界は技術を人間の外に求める、その副作用も全体に及んでいる。本来技術というのは、人間一人が修行によって、内に宿るもので、それによって何かを犠牲に得るものだったのかなぁ。
自分の内なるものを犠牲にしないように外に技術を作ることで、自分以外の何かに犠牲を求めてきたってことか。
そういう世界なら、終わらせる必要があるのか…
僕も今ネット開いて、このブログを書いているけど、それを続けている限り、自分以外の誰かが犠牲を被る世界は終わらないってことやんなぁ。
この世界は上手くできてるなぁ。
もしくは、弱者は技術で救い、強者のペナルティーは内なる技術で回避するっていうのはどうなんやろうか?
そんなうまくいくんかなぁ?
でも相殺できそうやけどなぁ。
強者のペナルティーは回避しようと修行すれば回避できるので、選択肢を与えているってことで良さそうな気はするな。
弱者は選択さえできんだろうからなぁ。
ってことで、SNSで武道や農業やビジネスのプロの内なる技術を解放しているのかぁ。
強者へのペナルティーを内を鍛える技術をSNSで得て打ち消すために
そうなれば、弱者を救うための評価なんて必要なくなる。
世界の流れが見えてきた…