こんちゃーお、宮田大樹です




 待望(?)の新シリーズ始動です。しかも、長編っ。流し読みしてください




 新シリーズはその名も『妄想プレゼンテーション』!




 妄想系ロマンチッカー宮田大樹が、脳内で勝手に企画立案したものを全方位的にプレゼンテーションしようというネタ企画





 今回のテーマは『もし名古屋おもてなし武将隊の足軽になったとしたら』




 先日、新メンバーが発表されまして、好青年揃いで、どうなるか楽しみなところです。その募集要項に、経験者優遇的なことがあったらしい。経験者っ両手で事足りるっっっ




 ということで、数少ない経験者である僕がもし、オーディションを受けて陣笠隊に任命されたとしたなら、そんな妄想をしてみましょう


※写真はイメージです




―その名も『きの助』!

 まず、名前ですが、『きの助』で決定です




 これは僕が武将隊に採用され、まだ配役が決まってない頃に考えていたもの。足軽になると思ってたからね!まさかの太閤就任!




 勿論、大樹の『き』から取りました。余談ですが、僕の実兄は大輔という名前で、小学生のとき、ウルトラミラクルシャイボーイだった僕は、地域の子ども会で、新一年生の自己紹介をすることになり、「宮田大輔の弟の宮田大樹です」って言おうとしたんだけど、テンパりすぎて、「宮田だいすきです」って噛んでそれ以来、人に大好きって言えなくなったトラウマがあります。余談でした




 宮田だいすきって芸名にしよかな…宮田大好。あり?なし?




 まあ、本名から一文字とる無難なところでおさめます。表記いろいろ考えたけど、「樹之介」「樹乃丞」「樹ノ助」など、どれも堅苦しかったので、ひらがなの『きの助』を採用です




―キャッチフレーズを考えよう

 武将隊のメンバーはそれぞれキャッチフレーズを持っています。ちと、ウェブサイトを参考にしてみましょう

リンク名古屋おもてなし武将隊公式ウェブサイト




 亀吉さんだったら、『墨俣一夜城で男を上げた、亀「川並衆」吉。

 ミドルネームとかテラファンタジーですねっ。中2感パないっ。さすがです。僕が授けた『出世を夢見る一兵卒』からは卒業したらしい。男を上げた、の意味はよくわかりませんが、川並衆であることはわかりました




 元気さんはわかりやすく、『いつもこころに元気!勇気!本気!』

 こういう反復系のキャッチコピーのセオリーとしては、「元気」という言葉を最後に持ってきがちですが、最初につけるということはそれほど強調を狙っているのでしょう。成る程に、秀逸でよく考えられたコピーです




 踊舞さんは『戦乱の世を舞い踊る。とーま参上!』

 華麗なコピーですねえ。踊る足軽。まさに足軽っ!ライトステップっ!!大道芸人だったらしいですからね。ふむふむ。とーま、とひらがな表記なのは親しみやすさや軽快さを意識しているのでしょうか。あと読み方か




 なつさん。『腹が減っては戦は出来ぬ 料理で隊を支えるおなご足軽』

 ほかのみんなが演武してる脇で大鍋でカレーつくってるの想像してしまった。慣用句を使うパターンです。まじめさが滲み出てますね。ポジションも明確。信長のシェフならぬ、信長の主婦を目指した、とか面白そうです




 見比べると、それぞれのキャラクターが滲み出てきますね。性格だったり、立場だったり、主義思想がわかります




 先にキャラクター設定を考えた方がよいのでは?と思いますが、キャッチコピーはひびきも大切ですので、ひびき優先で決めます




―ひびきのよいキャッチコピーとは

 言葉遊びが好きな僕としては、「きの助」という言葉にはかけたいですね




 それと僕、特技を雑用と自称するほど、かゆい所に手が届く、広く浅くなんでもできますミスターフォローマンなのです。なんかこれすでにキャッチコピーだけど、そんなポジション的要素はいれたい




 あとはひびきですね。暮らし安心クラシアンてきなフレーズ感がほしいのですうーんうーん




 きの助きの助…はっ!!!!!




 整いました




 参ります





「かゆい所に手が届く、困ったときの助け船。なんでもやります近藤♪」きの助




 図らずも苗字までついてしまいましたが、中京圏にお住まいの方にはお馴染みの企業を彷彿とさせる名コピーの誕生です。いまいちキャラクターが見えてきませんが、暫定的にこれで決定




―キャラクター設定は自然に

 さて、漸くキャラクター設定です




 日夜おもてなしをしていると、どれだけ取り繕っていても、自然と地の性格や人格は出て来るもの。ということで、無理せず自然に、宮田大樹の性格をベースに考えていきましょう




 暫しの時間、自己分析にお付き合いください




■宮田大樹の自己分析
・コピーのところでも触れたように、雑用が得意
・自分は至らぬ点ばかりだが、人の至らぬ点は見事に穴埋めする能力者
・ある程度ならジャンル問わず幅広く対応
・そのためなら勉強も捗る
・基本、独学
・人を頼るのが苦手
・練習嫌い
・身体を動かすことには消極的
・だが、嫌いではない
・でもやっぱりインドア派
・頭でっかちなところがあり、頭の中でのシミュレーションはいつも完璧
・だが、ぬけているので、リアルは惜しい
・手先は不器用
・ペンより重いものはもたない
・本の虫
・リアルに四書五経は読破済み。翻訳版だけど
・孫子の兵法は未読
・戦とか好きくない
・好き嫌いはそんなにないが、自分ルールで、良い悪いにはこだわるところがある
・のでマイルールにそぐわなければ、目上の人のいうことでも言うこと聞かないこともしばしば
・身分が上でも相手が悪いと思ったら反抗的
・でも、表向きはなるべく穏便
・従っているようで絶対に自分の信念は曲げないからやっかい
・でも、信念のある人は好き
・リスペクトしたら全面的に信頼する
・ようは縛られたくない
・比喩的な意味で
・現実的な意味でも
・出世するより、自由でいたい
・自由が好きだから冒険は好き
・知らないところを巡って、脳内地図を広げていくのが楽しい
・根暗なくせに人と話すのは好きで、持論を語っては相手に気を遣わせる
・人は基本好き
・なんだかんだハッピーエンドがいいし、ベタなのが好き
・けっこうミーハー
・演劇とか音楽とか、芸能事に手を出している
・が一つのことに集中できない
・飽き性
・だから芸事はつづけられる
などなど




 自分のこと、めっちゃわかってる(゜ロ゜;ノ)ノ




―ご当地感を大切に

 次に出自もさらいます




 僕は岐阜県可児市生まれ。美濃の国です。可児才蔵とは同郷




 戦国時代、最寄りの金山城は織田家家臣の森家が治めており、木曽川の中流にあり、物流の拠点としてそれなりに栄えてました。中山道が通っており、宿場街もあったので人も行き来していたはず




 父が美濃加茂、母が可児の人なので、美濃加茂と可児のハイブリッド。木曽川を挟んで結ばれたことになる。ある意味、七夕カップル。兄弟が多い。下の方なので自由にされてもらえた




 名古屋との関わりは大学から。家から一時間半かけて名古屋の大学に通っていた。大学時代の友人がグルメで、よく名古屋のおいしいお店を巡ってたエンゲル係数の高い学生だった




 ちなみに、“きのすけ”っていうと、大谷吉継の幼名が紀之介ですね。ってことは秀吉様の小姓とか…いやいや、安直すぎるな




 しかしまあ、だいぶイメージできてきましたよ、きの助のライフ




 さっそくウィキペディア風にまとめていきましょう




―きの助の生涯

 美濃国に生まれる。代々、家が船頭をしてきたため、幼い頃からそれを手伝って、下流の尾張にもよく行っていた。ただし、カナヅチ。

 可児才蔵とは幼馴染みみたいなもので、脳筋の才蔵と頭でっかちのきの助と呼ばれていた。才蔵に悪知恵を授け、大人に怒られるのを横目に見ていたこともままある。

 才蔵は早くから斎藤家に仕えていたが、家が商人のため、きの助は戦などにはあまり関わりがなかった。

 桶狭間の戦いのとき、その噂は瞬く間に広がり、織田信長の名を知らしめたが、きの助はこのとき、桶狭間ってどんな地名やねん、と都言葉でツッコんでいた。

 信長岐阜に拠点を置いてからは岐阜に行くことも多くなり、その頃、信長のことはチラチラみていた。町でたまたま困り顔の木下秀吉を見かけ、誰とも知らず相談に乗ろうかと声をかける。秀吉、何を思ったかそれに乗る。まあ、なんて大人な対応の秀吉様

 その頃、親の目を忍んでは親の部屋からコソコソと本を盗み読み漁っていた。その本の中で見つけた猿楽に惹かれ、芸術に興味を持つようになる。

 そのうち、家を飛び出して、尾張の寺に転がり込む。出家はしなかったものの、勉学に励み、そこでの影響で心身ともに成長。ちょっとまともになる。ここで芸術に存分に触れ、彫刻とか水墨画とかをするが、手先が不器用なため、出来は悪かった。

 いい歳になって、戦にも出るようになるが、小柄でひ弱なため、荷駄隊や斥候などに当てられ、実際に刃を合わせることはなかった。が、戦を俯瞰に分析して、その知識を深めていた。長篠の戦いで鉄砲の三段撃ちを最初に思いついたのは自分だと言い張る。

 本能寺の変信長が死に、ほどなくして突然、自身を見つめ直すため、というのは口実で、ご当地グルメを食べ尽くすため、全国霊場巡りを始める。のちに伝えられる「食の細道」のはじまりである。

 旅の途中で、才蔵福島正則の家臣となったことを知り、何を思ったか対抗心を燃やし、正則のライバルである加藤清正に仕官するために肥後へ。もちろん、清正は意味不明なため断るのだが、諦めの悪さと、減らず口の巧さ、芸事の知識の豊富さから、召し抱えることにした。ただし、家臣としてではなく、御伽衆として、清正の業績を影で支える。

 関ヶ原の戦いのときに才蔵が大活躍し、笹の才蔵と呼ばれたエピソードをして、あれは自分が教えたんだと言い張る。

 名古屋城築城の際に帰名。三日月石垣は自分のアイデアだと言い張る。

 清正の死後も名古屋にとどまり、名古屋芸能の礎を築き、発展に尽力した。そのまま、名古屋で死去。




―分析しましょう

 可児才蔵は天文23年、つまり、1554年生まれと言われているので、幼馴染みということは同じくらい。ここはわかりやすく、1555年生まれにしときましょう。笹の才蔵に対抗して、午後のきの助、なんてどう?ひびきだけっ




 信長が岐阜城に移ったのが1567年ですから、信長をチラ見してたのは12歳頃ということになりますね。当時、秀吉は31歳




 本能寺の変が1582年ですから、この時は27歳。この前までに寺に転がりこんで足軽もやっていたということでしょうか。青春時代は名古屋で過ごしたとこになります。で、ここから突然の放浪




 可児才蔵が正則に仕えたのは、正則が今治の大名になったときなので、1587年。5年は放浪していたと考えると、ろくでもないやつですね。で、清正に仕えるわけで、わかくして御伽衆に抱えられるわけですから、よほど才能があったか、金に物を言わせたかどちらかでしょう




 関ヶ原の戦いでは45歳。名古屋城築城は1610年からなので、そのときには55歳。働き盛り!55歳から死ぬまで、名古屋で芸能の発展に尽力した、と




 こんな人生、どうでしょ? 




 ちなみに、実家が船頭、ということで、キャッチコピーの助け船、にもかかってきましたね。偶然ってすごい!




―武将隊でのポジション

 そんなきの助さん、武将隊に蘇って何ができるか




 まず、名古屋芸能の発展に尽力、ということもあり、芸能文化を盛り上げる一翼になれますよね!やった!得意の分析で、名古屋芸能をルポライティングします。フットワークも軽いので体験ルポがよいですね




 全国のご当地グルメを食べ歩いた経験から、名古屋めし文化の分析も始めます。名古屋の隅々まで歩き回って、超ご当地なグルメを発見していきます。たべログと連動しましょうか。鉄板グルメやベトコンラーメン的なのを探して歩きます




 実家が商人ということもあり、ビジネスセンスもグンバツなきの助は、ビジネス界にも進出します。家業は物流ですので、伝統工芸品や、ご当地のみで消費されてしまっているであろう良品、名品の中で、きの助の分析に基づいたものを集め、全世界に発信していきましょう

 そう、ネットショッピング。きの助市場爆誕!伝統工芸だからって、甘やかしません。大事なのは、様式美、機能美です。型を押さえながらも機能的でオシャレ、これが大切。きの助市場ではアートな日用品を取りそろえております




 ここまでくると分析のきの助、という二つ名がもらえそうな感じですね。いや、おれの分析は分のを超える。つまり、秒析ってことさ。言いたいだけです




 あと、個人的にしたいのは、名古屋市の白地図に、行ったところを加えていく作業ですね。君も心の白地図広げて、僕と一緒に飛びだそう!言いたいだけでs(ry




 でも、ホント、これやると、武将隊の進軍したところが一目瞭然だから、名古屋の支配度(笑)もわかるし、まだ攻め入ってない場所もわかるし、よくない?ウェブサイトでデジタル化すればみんな見れるし、サイトのアクセス数もアップやでっ!




 なんだか、デジタルな雰囲気も漂いますが、なるべくならアナログな温度感は大切にしたいものです




 名古屋城でのおもてなしでは、武将様のお世話はもちろん、三日月石垣は自分のアイデアだとうそぶくほか、演武では得意の減らず口が大活躍。ディズニーのジャングルクルーズのガイドさん並にお客様の心を掴みます。行ったことないけど!




 あと、きの助でググると、日間賀島の民宿が出て来るんで、コラボしたいです。ほかにも高山や福井や高松も出て来るね。全国に活路、見えた!




 あとあれだ、きの助六、っていうの作ろう。旅にぴったりの現代風助六。豊川いなりに海老天太巻きのコンビネーションでどやっ!




 名古屋から外れてきてるって?いやいや、他の文化を飲み込んでしまうところが実に名古屋らしいではないですか




―まとめると

かゆい所に手が届く、困ったときの助け船。なんでもやります近藤♪きの助。

美濃国、船頭の子として生まれるが、若くして家出。足軽をしていたが、突如全国行脚を始めるが、これまた突然清正の御伽衆に半ムリヤリになる。晩年は名古屋芸能の発展に尽力。




 こんなところでしょうか。準備は整った!次のオーディションはいつかなあ(笑)


※一年以上前の写真やけど




 第2期武将隊の終幕まで残りわずか。彼らの有終の美、そして、それぞれのこれからが明るいことを願って、また、第3期武将隊の益々の発展を祈ってのネタ記事でした。最後まで読んでくれてありがとねん




 まだまだネタあるので、近々また書きます。次はこんな○○があったらという話




 それではちゃおちゃおー