ハーフマラソンを完走した。



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毎年走るのだけれど
自身としては4回目のレースで、完走後の感動はそれ自体は残るけど
年々薄れてしまい、タイムは速いというコトもなく、さりとて遅すぎるというコトもない平均的なモノであったがとにかく完走した。




一昨年から続いた鬱蒼とした暑さと湿気がその週は急に気温が下がり過ごしやすくなる。
走るのにはちょうど良い。



1月19日 午前6時 
約1000名のランナーが一斉に走り出す
沿道の声援から元気を貰い、ただただひたすら走る。

昨年の夏くらいから、週に何度かコツコツとトレーニングを始めた。
鬱蒼とした熱気と湿気に身をさらして、タップリと汗をかいて全身に絡みつく躁鬱、虚無、焦燥、と言った身から出た錆(サビ)を絶えず削る。

「今やるべきこと」 それだけを考えていればよい ~アーネスト ヘミングウェイ

「老人と海」だったと思うけど、この古い小説の一節を思い浮かべて、ゼイゼイとへたばり、身体の悲鳴が精神の倦怠を次第に外へと押し出していく。一種のマゾヒヅムの悦にはいる。心の裏側にある 妄想、絶望、怒り、嫉妬、卑劣、下賎、下劣、孤独、憎悪、哀愁、傷、望郷、と言った 頭に浮かび上がる自身の醜い「膿」が瞬時に蒸発してしまうのがよい。

それらを燃料として ただ走っていれば良い、苦しいけれど何も考える必要がない というか息が上がってそんな余裕すらないのだから。 けれどその後にくる身体を覆う爽快感といえば、最近では一つの楽しみであるとも言えそうで、後のビールが格別に美味しかったりする。

ゴールした瞬間の昂揚と歓喜
素直に喜べばよい



 


しばらくはこの余韻に浸ることができる
くたびれたヨレヨレの中年男は目がキラキラと澄んでくる
ただただ、この瞬間を素直に楽しめば良いのではないか? 余計なことを考えず...

スタートした時、走っている時、ゴールした時
年齢、性別、国籍、人種、肌の色、言葉、順位、時間、そんなものは関係なく
ただ一緒に同じゴールへと走り終えた人たちの歓喜の中でこの瞬間を喜べばよい

翌日にコレラの歓喜は消えてなくなり、元の形に戻るのだけれど
たとえソウだと分かっていても

明日はもう走らなくていいのだから...