☆早朝に病院から電話☆
4月10(水)
夜中1時半頃、寝苦しくて起きる。
しばらく眠れずに祭の事を思う。
いつの間にか寝たようで携帯の着信で目が覚める。
AM5時34分
病院から。
一瞬にして、祭が急変したんだ!と思った。
だけど、予想を遥かに越える言葉が。
「まつりちゃん、亡くなりました。」
その後にも先生は何か言っていたけど、もう私には聞こえない。
泣き叫ぶ私の声で子供達も起きる。
「まっちゃん、死んじゃったの?」号泣する次女。
先生には今からすぐ行きます。とだけ言って家を飛び出した。
病院へ着くと院長先生が裏口から中へ案内してくれた。
診察台の上に横になっている祭。
「まっちゃん、まっちゃん、まつり、」
名前しか出てこない。
触るとまだ温かいまつり。
「私が、抗がん剤なんてお願いしたからだ」と取り乱す私。
もう、一刻も早く祭を家に連れて帰りたくて先生の話もほとんど聞かずに祭を抱いて帰宅。
旦那が付いてきてたので私は祭と後部座席へ。
今にも起き出しそうな祭。大切に大切に抱きしめて沢山話しかけた。
帰宅すると駆けつけてくれていた母がいた。
泣き顔で学校へ行く準備をしている娘達。
大好きだったヨギボに祭を寝かせて。
そう、つい先日までは朝の当たり前の光景。
「まっちゃん、帰ってきたよ」
「まっちゃん、帰ってきたかったよね」
「まっちゃん、みんないるよ」
私はずっと祭から離れられない。
☆病院より電話☆
4月9日(火)
18時30分頃病院から電話。
再び副院長から。
午後から祭ちゃんの容体が悪化して今、酸素室に入ってます。
肺炎を起こしている可能性があります。
お昼にお話しした抗がん剤治療をやるかの決断ですが、やるなら明日まで待てません。やるのであれば今からやります。と。
えっ、、
今、祭は酸素室にいるんだよね?そんな祭に抗がん剤なんて耐えられるの?
先生は、今の祭ちゃんの状態を楽にしてあげられる可能性があるのは、抗がん剤だけです。と。
私は今の祭を見ていない。きっと見る事が出来たなら抗がん剤を選択する事はしなかっただろう。
悩みに悩んで、私は抗がん剤をする事を決断してしまった。
「お願いします」
電話を切ったあと、涙が止まらなかった。さっきまで抗がん剤はやらないと決めていたのに、、
祭が今苦しんでる。救い出せる可能性があるのは抗がん剤だけ。
そんな思いで抗がん剤を決断してしまった。
この時の決断が今でも私を苦しめている。
祭はもっと苦しかったはずだ。
☆検査結果☆
4月9日(火)
火曜日は1日仕事の日。
お昼休みにコメダ珈琲へ。
席に着いて早々に病院から着信。
急いで外へ出た。
祭の主治医は院長先生ですが
この日の電話は副院長から。
生検検査の結果がでました。
『リンパ腫』です。
小腸、十二指腸とかなり広範囲に渡ってます。
一緒に生検に出した膵臓には異常は認められませんでした。と。
以前にも話したように、リンパ腫の治療には抗がん剤しかありません。
抗がん剤を希望する場合はなるべく早く始める必要があります。と
もし、抗がん剤治療をされない場合の余命は祭ちゃんの今の状態では、おそらく数週間あるかないか。
ただし、病変がかなり広範囲になるので抗がん剤によるダメージも大きいです。と。
今すぐ決められないので、明日病院へ行く約束があるから、その時にお返事します。
と言って電話を切った。
初めて言われた余命。
席に戻ると、心配そうに待っていた職場の上司である叔母が、どうだったの?と
職場ではずっと我慢していた涙が止まらなくなってしまった。
この時、私は抗がん剤はやらずに祭と家で残された時間を大切に過ごそうと思った。