能動的リスニング | MC452 オフィシャルブログ 「大都会での粋な日々」 Powered by Ameba

能動的リスニング

西通りを歩いていましたらね、



とても綺麗な女性がいたんですよ。
イケイケな感じの。



オシャレな感じの。



あっ、よくね、福岡は女の子可愛いとかって聞くんですけど、これまぁどうかな、って思うんですよ。



いやオレ東京から来てっかんね。



東京も可愛いから。ナメんな、と。いやつまりその、地域差なんか無ェだろ、っていうのが私見なんですけどそれはまぁいいとしてね、



いますよそりゃ可愛い女の子は。福岡だろうが岩手だろうがね。



で、その西通りで見付けた方、なんかねー、攻めたTシャツ着てるんですよ。丈のちょいと短めのさ。白地で。遠くから最初わからなかったんですけどね、胸に文字書いてあって。



BAMBI だってさ。



バンビてΣ(・□・;)なに?まだ発展途上ってこと!?そんなに可愛いのに!?成体になったらどうなるわけ?いや逆にまだバンビだから可愛やかましいわ。




なんていうんでしょう。日本人ってそういうとこ無関心なフシありますよね。



私の知人は先日、胸に大きく「I've got 99 problems」と書かれた異様に丈の長いシャツを着ていましたが。



それでいいのか、と。その丈でいいのか、と。(そこ!?Σ(・□・;))



おはようございます。しごつーです。ご挨拶が遅れましてすみません。



何やらファイナルファンタジーのⅦがリメイクされるようで、ちょいと賑やかになりましたね。



賑やかなのはよろしいのですが。



喜ぶ人が増えるのはよろしいのですが、



同時になんだか残念な気持ちになりました。本当にこれでいいのかな、と。



というのも、



いやリメイクとかやってねーで新しいの作れし!って話じゃないですか。



わかりますよ。わかります。ファンが多いのも知ってます。プレステの画質も知ってます。でもね、それって結局“焼き直し”なわけじゃないですか。そもそも売っていたのは画質?否、違いますよね。だったらねぇ、最新の物語を最新の技術で楽しみたいですよねぃ。えぇ。



ただまぁ、わかるんですよね。製作する側の意見も。でも、作り手がそこで出し惜しみをするのって、絶対に良くないと思うんです。


(ここから本題)


新しいことをするのって、体力を使うんですよね。当然、“新しい楽しみを見つける”のにも労力が要る。となれば、既に“楽しい”とわかっているものを楽しむのが、この上なくラクなんです。だから、リメイクなんですよ。



みんな新しいものを探そうとしない。昔のものに固執して、そこから抜け出そうとしないんです。そうやって毎年同じことばっかりやってね、ジジイになるまでずっとファイファンやってるんでしょうね。



LINEミュージックとかAppleミュージックとか、皆さんどの程度ご活用されてます?



私自身まだあまりコミットしきれていないんですが、これってどうなんですかね。



例えばLINEミュージック。



無料期間が終わると、月額300円で20時間音楽がストリーミングし放題なんですと。



月額300円。



これって、高いんですか?安いんですか?



月に20時間。



これって、長い?短い?



今、日本人が“音楽”に払っているお金ってだいたいどのくらいなんでしょうね。もちろんピンキリなのは当然なんですが、まぁゼロっていう人がほとんどなんじゃないかと思います。



じゃあ音楽にかける時間は?



月に20時間。割ると40分/日。



1日に40分も音楽ディグる人、います?



ハッキリ云って、いないでしょ。



音楽の聞き方を例えばこう二つに分けましょう。


能動的リスニング
受動的リスニング(ヒアリング)



街には音楽が溢れています。それこそ音楽から逃げるのはほぼ困難である程に。ただ、これって、“自分から聞きに行ってる音楽”じゃないんですよね。“好きな音楽”じゃない。



じゃあ“好きな音楽”を聞いている時間って、皆さんどれだけあるんでしょう。



90年代、それから2000年代前半にかけて、私はすごく良い時代にたくさんの好きな音楽に出会いました。それは、音楽を積極的に追い求めたから。ロキノンだったりぴあだったりGiGSだったり、掻き集めて聞き漁りました。何よりただ音楽が楽しくて楽しくてしょうがなかった。今まで知らなかった音楽に出会った時、毎回アホみたいに嬉しくて、思い返すとあれが音楽を楽しんでいたピークだったのかもしれません。ただ純粋に自分の“好き”を追い求めていました。



レイジ、グロさん、Ash、ミッパン、周りの誰もが聞かないものでも、自分が好きなものをただただ追い掛けて広げて、それを繰り返していたように思います。



今の子らって、どうなんでしょう。



私がただ特殊なだけなのでしょうか。なんだか今の子らって、やっぱり手元にある音楽だけで生きてるような気がするんです。それこそ積極的リスニングを楽しんでいるつもりで、ただたまたまそこにあった受動的な音楽をストリーミングしている。それは文字通りstreamのようで、心に収まらない、味気のないもののように感じられてしまいます。偏見ですかね。いつの間にこんなにオッサンになったのでしょうか。



でも、今「好きな歌手だれ?」って訊くと、だいたい3人目までで絶対カブるんですよね。



選択肢がない。



(ここで序盤の話に戻ります)



新しいものを作るのもたいへんなんですけど、新しいものを探すのもたいへんなんですよね。手間と時間と根気が必要で。



云ってみれば自分の追い求める音楽を探すのって、山奥の泉に水を汲みに行く作業みたいなもので。大抵みんな水道水で満足してしまうんですよね。昔とちがって水道水も普通に飲めるんで。ただ、水道水はやっぱり、どこへ行っても水道水なんですよね。



じゃあ水道水で満足できない皆さんはどこに行くかというと、コンビニの南アルプスとかスーパーのシャスタ山。ある程度のクオリティーのものがコンスタントに提供される。


いいんですよ。ボルビックもいろはすも美味しいです。ただ、そこに「楽しみ」がない。



探すのが1番楽しいと思うんですけどねー。思い入れが変わってくると思うんです。いうなれば、CDの盤には映らない、見えない聞こえない触れられないものを含めて“音楽”なんじゃないか、と。わかりますかね。わかんないでしょう。これうまく説明する自信がありません。



でもなんていうか、如実なのは「○○の新曲昨日テレビで見た?」みたいな話をする子らは減っているんだろうな、と。



また、良い時代になるといいんですけどねぃ。



ま、頑張ります。



みんなが笑えるように。



んじゃまたな(^ー^)ノ





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