お祭りのお知らせ | MC452 オフィシャルブログ 「大都会での粋な日々」 Powered by Ameba

お祭りのお知らせ

「ごめん日本語がよくわからないんだけど、“体面”って...何?」と訊かれ、



「っと...face!...surface!」とカンで云ってしまって、あとで心配になって調べてみたら、たぶん合ってるっぽかった。よかった。



受験シーズンが終わったどころかもう早いところで今日入学式なんて人もいるこんなシーズンにこんな話をするのも憚られるが、“カン”(intuition)という言葉は面白い。



語感のイメージとしては「当てずっぽう」という意味でとられやすいが、実は(本当は)この意味で使われることは少ないように思う。括弧を付けて但し書きをしたのは、それに気付いている人ばかりではないから(そのためにBlogを書く)。



「当てずっぽう」には、実は理由があることが多い。なんならもはや日本語になってしまった感のある「ランダム」。まさにこれこそが真の当てずっぽうである。ではなぜ“カン”という言葉があるかというと、これに我々人間がスピリチャルな、或いは何か神聖な、はたまた逆に泥くさいロマンを感じているからだと考える。



例えば、



「ソウルと仙台、1年間の平均気温が低いのはどちらか」といった問いに対し、この正確なデータを知っている者以外は“カン”で答えるしかない。ある程度“予想”することができるが、云ってみればその“予想”という名を借りた“カン”を使うことになる。



つまり、



正解がどちらであるにしろ「カンだけどソウルじゃないかな?」の裏には


《えっと...ソウルって韓国だろ?韓国ってなんか雪のイメージすげーよな冬ソナだよなぁ。いや、でも宮城は東北だろ?雪すげーじゃん。あ、でも韓国とかあのへん寒流がすごいから寒くなるって聞いたことあんぞ。むしろ宮城なんてお米とれんじゃん。お米ってことは夏あったかいんじゃね?よし、ソウルだ!ソウルの方が寒い!》


といった様に、〔知識と経験に裏打ちされた、筋立てされた論理的予想〕のプロセスを大なり小なり通っていることが多いものと思われる。「刑事のカン」という言葉はここから来ているものと考える。



この、云ってみれば「数字に現れないアビリティー」であるところの“カン”、扱いが非常に難しい。



ある程度それを信用してもよい、或いはアテにすべきとも思う反面、これに全面的に判断を委ねるべきでないことは明白で、だからこそバランスが難しいところになってくる。



ただこのバランスこそが明確な数字で答えの出せない問題であり、そこにこそ“カン”が重要になる逆説的アイロニー。つまり結局感覚でやるしかない何これ何の話?



おはようございます。しごつーです。ご挨拶が遅れましてすみません。



敦賀気比、おめでとうございました。



大相撲春場所も終わり、センバツも終わり、咲き始めた桜を眺めてはその散りゆく未来を思い浮かべ感傷に浸る皆さま、いかがお過ごしでしょうか。



イベントごとねーなー、って思ってるでしょ。そうですよね。みんな終わっちゃって。



いやいや、



あるじゃないですか。



とっておきのやつが。



今年もやってきた、恒例のお祭り。



そう、ヤマザキ春のパン祭り。



実は北海道では2月から始まっているらしいですね。有利じゃんΣ(・□・;)



なんかさっきたまたまテレビのCMで見たんですけど、あれってポイントたまったらデイリーヤマザキに持って行けばその場で皿くれるんですね。知らなかった。ちょー便利じゃないですか。そっかそっかデイリーヤマザキ...



デイリーヤマザキ...



無くね?



作れΣ(・□・;)

祭りの前に本部作れΣ(・□・;)



まぁね、松たか子さんには何も非がないので、あまり責めないであげてくださいね。



「春の世に」とはよく申し上げたものですが、やはり“春”には何かあるようですね。



さて、今週はようやく



ようやくのアレです。待ちに待ったアレに続いて今週日曜日、ようやく待ちに待ったアレです。



人それぞれ、「働く理由」もしくは「やりがい」みたいなものって、あると思います。或いは仕事それ自体が生きる理由という方もいらっしゃるかもしれませんが。



今週末、そこに恐らく私にとってのそれがあるのかなと思います。



精一杯、生きてゆこう。



明日笑えるように、来週笑えるように、来月、来年、ずっと笑っていられるように。



そして、笑顔を増やせるように。



涙を流す人のいないように。



ずっとずっと。



人はいさ 心も知らずふるさとは
花ぞむかしの香ににひける



梅もまだ綺麗ですね。



んじゃまたな(^ー^)ノ