あるキング | MC452 オフィシャルブログ 「大都会での粋な日々」 Powered by Ameba

あるキング

オレさぁ、明日ライブなんだよね。知ってる?知らねっしょ。



久々のよ。もうどれぐらいぶりか思い出せないぐらい久しぶりの。



忙しいとは云わないけどさァ、



キツいんだよドンッ



なのになんでこんなん書いてるかっていうとね、



ほら、ゴールデンウィークっしょ。まぁだからライブなわけなんだけども、



ゴールデンウィークってさ、宿題出ない?えっ、うちの学校だけ?なんだよ。頑張って損したわ。



・・・まぁいいわ。



おはようございます。しごつーです。



今日は久々に早めのご挨拶をさせていただいたんですが、この[読書感想文]カテゴリ、去年やってなかったんですね(い抜き)。だいぶと久々なのはわかってたんですが(い抜き)、よもや1年も空くとは。まぁ誰に迫られてるわけでも無いんで(い抜き)、ゆるゆるとやってきます(い抜き)。



そもそも、元々のコンセプトは「読書感想文の宿題を出されたものの、読むのも書くのもダルい、というお子さんのために変わりに書いてあげる」というものだったんですが、さっきアーカイブを読み返してみたらなんか、全然そんな感じしませんね。今回はもっと気をつけましょう。っていうかもう、どんどん書いちゃいます。



今回ご紹介するのはコレ↓


あるキング (徳間文庫)


言わずと知れた伊坂幸太郎作品。氏については以前このカテゴリ「謎解きはディナーのあとで」の回でも少し触れたんですが、改めて紹介するのは初めてになりますね。



伊坂幸太郎氏の作品、好きなんですよ。テンポがよい、というか、リズム良く読める、というか。『重力ピエロ』にしたって、あれだけのページ数を感じさせない程スススーっと読み進められました。



最近ようやくわかって来たんですよ。本の買い方が。まず1,2頁読んでみる、って。もちろんそれだけで判断するのも良く無いんですが、やっぱり“好み”ってあるんで。



例えば・・・そうですね、江國香織先生の『東京タワー』は、なんとなくベストセラーっぽかったんで読んでみると、もう10行で感じるこの、何ていうんでしょうね。ムダな記述の多さ(どの口で言うか)。まぁ言い方を変えればそれが例えば「リアルな描写」或いは「叙情的な情景描写」と評価することもできるんでしょうが、ちょっと私にはシンクロしませんでした。



それ系で云うと木下半太先生の『悪夢の観覧車』なんかも序盤読んでいて余計な行多いなぁ、と思いましたね。彼は舞台の脚本、演出とかも手掛けている関係上そういったところにも力を入れて書いているんだとは思うんですが。内容、着眼点、トリックの仕込みとか文字媒体を利用した演出はすごく良いと思ったんですが。『悪夢のエレベーター』もキャラが立っていてすごく良かったですね。



何にしてもね、やっぱ“書きすぎ”ているやつってあんま好きじゃありません。KKP『LENS』でいう天城みたいなのが性に合っているんでしょうね。



すみません。だいぶと話が逸れましたね。



〈先に感想〉
(まだお読みでない方の事をシカトして書きますのでご注意ください)



語り手の視点の妙が秀逸で、その主観的でありながら客観的な捉え方、全てを見通すような語り口、全てがラストで納得できる素晴らしい構成になっていました。序盤及びクライマックスで用いられるキュリー夫人の引用の組み込み方も見事で、読者がどの目線でも感情移入できるように作られていたように思います。

(あ、もうここまでで気付いたと思うんですけど、めっちゃ褒めます)

タイトルを見て「どんな話だろう」と思って読んでみたんですが、成る程読み終わってみると内容は装丁に全て組み込まれていたんですね。加えて「“ある”キング」としたのは最終行「君の番だ」(P.221)に繋がり、読者へ訴えかける強いメッセージであると考えました。



この段組みは秀逸で、以前のこのBlog(祝!発売)にも書いた通り、なるほど読み進めるうちに主人公に関する伝記の体裁をとり、その死までを描くものであるとわかるものになっています。そこで最後の章へどう繋げるのか、と思っていたのですが、なるほど素晴らしい。



一つだけ苦言を呈すとすれば、唯一「書き過ぎ」ている場面とも言えるのがこのラストの章で、ここでは王求の打席の結果を明記すべきでなかった、或いはする必要がなかったのかな、とも感じました。ただ、これは最終行のメッセージを伝えるためにはやむをえない展開なのかなとも思うので一概には申し上げられないのですが。ただP.48の桐子の言葉に感涙した私としては、やはり書かない方がよかったのかな、と思えてしまいます。


以下、P.48より引用
ーーーーーーーーーー
「いつも、こんなに練習しているんですか」
「こんなに、というか、そうね。ずっと」
「山田君はやっぱり、プロ野球選手を目指しているんですか」
「ひまわりの種に、ひまわりを目指しているんですか、って質問する?」
「どういうことですか」
「ひまわりになっちゃうのよ。絶対に」
ーーーーーーーーーー


上の記述でもわかる通り、主人公は王たるべく生まれ、王たるべく育ち或いは育てられ、須らく王となり、そして王として生き、王として死にます。これを“運命”或いは“境遇”として割り切り、ファンタジーとして温かい目で見る事はできますが、見方によってはこれを「出生による個人の差」や「親から子への押し付け」ひいては「子供は親のおもちゃ」と捉えることもできます。もちろん古くから現代に至るまで、洋の東西を問わずそういった慣習が少なからずあることは否定できません。というか、語弊を恐れずに云えば、それでいいと私は思っています。



子供は、或いは人間は、育てたようにしか育たないわけで。その人間が持つ可能性を摘み取る、というとなんだか勿体無いことをしているような気がしますが、全ての可能性を捨てずに全てを伸ばすことができるかというと、ハッキリ云ってそれはムリです。人間の作為が多分に関与するのでその振り幅が大きくなってしまうものの、極論を云えば親が日本人な時点で子供は概ねにおいて日本人にしか育たないわけで。詰まるところ「育てたようにしか育たない」のでしょう。先天的なポテンシャルがどうあるにせよ。



と、今回はなかなかの“感想文”が書けたんじゃないでしょうか。そこそこ満足です。



で、(ほぼ)毎回「本作のパンチライン」を紹介させていただいているのですが、



今回迷いました。



何せ読みながら付箋を挟んでいったんですが、あまりにもその箇所が多くて。実にその数11。先に触れてある引用箇所などもその中のものです。最終行もそうですし、「ひまわりになっちゃうのよ。絶対に」なんかはかなりグッと来た場面なのでこれを1番のパンチラインとしても良かったのですが・・・っていうかこんなん云い出したらキリないんですけよ。今回「選べない!」ってどうですか?ダメですかね。まぁ全部紹介してもいいんですが、それはライブを控えた私の両手をブチ壊す事となりかねないので、そうですね。中でも私が「書きたい」・・・、或いは「書かなければならない」と思った箇所をご紹介します。本当に本当に素敵な箇所が沢山ありすぎるので、一緒に語りたい方は本書を手に多摩センターまで来てください。ということで私の選ぶパンチラインはコチラ↓

(以下P.127引用)
ーーーーーーーーーー
「今、どういう気持ちですか」という問いかけは漠然としている上に、無意味この上ないものにしか感じられない。が、意外に多くの人間がその問いかけを口にした。おまえはそのたび、答えを真剣に考える。果たして、「気持ち」というものは言葉で表現できるのかどうか、それすらも分からない。「複雑です」と答える。
(中略)
彼らは納得しない。仕方がなく、彼らが受け入れてくれそうな回答を探し、「
(中略)
」と言う。もちろんその回答も、彼らを満足させない。ただ、それ以上のことは要求してこない。
ーーーーーーーーーー

ちょっと抜き過ぎですかね。怒られたらどうしましょう。まぁ怒られたら謝るしかないんですが、果たしてその謝罪で満足してもらえるのでしょうか。



この一説、とても考えさせられる部分だと思うんですよね。なんなら現代における多くのリポーターたち、場合によってはそれに加えてインタビューされる人々に警鐘を鳴らすような。確かに多いんですよね。「どういう気持ちですか」をはじめとした、無意味な質問の類い。そして答える側は決まって「そうですねー」から始まります(具志堅用高はその限りではない)。



ソチオリンピック、フィギュアスケートの金メダリスト羽生選手のインタビュー、面白かったですね。毎回ではないんですが、リポーターがアホな質問をすると彼は「なんだその質問、アホかよ」という顔をなさるんですよ。そう見えるというか、そうとしか見えません。そしてその刹那、「いけないいけないっ!」という顔をして真面目そうに答える。彼はナルシストな部分が大いにあるのであまり褒めすぎるのもアレなんですが、彼は『あるキング』の主人公、山田王求を彷彿とさせる部分があるな、となんとなく思いました。



私、大っ嫌いです。「どういう気持ちですか」。



「PK蹴る瞬間、どんな気持ちでした?」いやお前そんなん「入れ!」に決まってんじゃん。



逆にどう思う?って、思いません?私は強く思います。そういう思いでテレビを見ています。



だからというか、舞台『デッド・オア・会う』の時、NIKKIさんに演劇の話(の話)をサラっとだけしていただいた(ガッツリだとあまりにも長くなってしまうので)時はひどく感激しました。この人はやっぱすげぇ、と。あぁ、この話は誰が悪いってことじゃなくて単純にNIKKIさんがステキだって話ね。



世の中ね、ムダな行、中身の無い行が多いんですよ。



「中身があってのポップだろ」
(©GASHIMA)



また話がズレたんですが、まぁ詰まるところやっぱり『あるキング』、素晴らしかったです。



なんでしょう、私野球作品好きなんですかね。まぁでもスポーツってわかりやすくていいですね。一つのモノに真剣に打ち込む姿だったり或いは打ち込まない姿だったり。加えて汗が光るんで、フィクションにしろファンタジーにしろ“炭取が廻”り易いんですよね。


(うわー、こっからまた長いぞ)


“炭取が廻る”というのは三島由紀夫による、柳田國男『遠野物語』より引用した一説なんですが、即ち私も三島と同じく「ここに小説を見」るわけです。



もう手が疲れて来たんで説明を省く(っていうか良い時代なんで、ちょっと調べたらすぐ出て来ます)んですが、つまりリアルとフィクションが錯綜するところに本当の楽しみがある、と申し上げたいわけです(この話前にBlogでガッツリ書いたんで気になったらアーカイブからせっせと探してください)。要するにもっと簡単に云うと“ありそうなウソ”と“なさそうなホント”が同居しているような感覚。これが至高の「小説」ではないか、と。



その点で、「リアル」が描きやすい“スポーツ”は便利なんですよね。曽我部敦史『山下バッティングセンター』なんかもその類いで、季節感もあいまって素晴らしく汗にまみれたファンタジー(或いは都市伝説)を描けていたように思います。加えてあの作品も無駄な記述がほとんど無く、気持ちいい程スラスラと読めました。



スポーツを作品の中で描く場合、どうしても“スター選手”が必要になります。『ROOKIES』にしろ『ONE ONTS』にしろ。まぁ主役にするにしろ脇役にするにしろ。そうすると必然的に“凡庸な選手”を描いてその対比を見せる必要があるんですが、『あるキング』はそれが見事でした。まぁベタといえばベタなんですがエリートサラブレッドの苦悩もしっかり描いていて、しかもそれがアホみたいに返り咲くのではなく面白いまでに自然に引退する、という。そういった全てを大きく包み込む存在としての“王”が完璧に描かれていたように思います。



ディスる点があるとすれば・・・、そうですね。やはり序盤で書いた通りです。



とりわけ良い作品というのは、終わってしまうのが残念でなりません。本作はそれが顕著でした。最後の方なんか「えっ、終わるの?もうページあんまないよ?えっ?マジで?なんで?」と。それも含めて素晴らしかったと評することも出来るんですが、本心を云えば出来たら電子版でページを気にせず読みたかったです。



と、いったところですかね。今回はちゃんと“感想文”が書けていたでしょうか。まぁいっぱい書いたんで、宿題に使いたい諸君は自分の好きなトコだけ抜粋してコピペするようにしてくださいね。その際語尾とかをちゃんと直すようにしないと後で怒られちゃうんで、ご注意ください。まぁ怒られた時のためにカッコいい言い訳もご紹介しておきましょうか。



「スタップ細胞は、ありまーーす」
(©Obokata)



それでは最後に今回ご紹介した作品と記事の中で挙げた参考作品、ついでに書きながら聴いていたBGMをまとめようと思うんですが・・・、今回書きすぎたな。しんどいぞ。普段どれだけ“デジタルな”記述を我慢しているかがうかがえますね。まぁいつも私はこんな風に考えているんですよ、という良い例になったんじゃないでしょうか。これをキッカケに私の楽曲やらライブやらも奥深いデジタルなメッセージが詰まっているかのように考えてくれたら面白いと思うんですが、まぁ普段の私については表層だけをサラッと見て“面白い”か“そうでない”かと思っていただければ満足です。とか今更云っても意味ないか。ま、各自ご自由にお楽しみいただければ幸いです。



【今回の紹介作品】

あるキング (徳間文庫)


【参考作品】


謎解きはディナーのあとで




重力ピエロ (新潮文庫)




東京タワー




悪夢の観覧車 (幻冬舎文庫)




悪夢のエレベーター (幻冬舎文庫)




Valentine




小説読本




遠野物語 (集英社文庫)




ROOKIES 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)




ONE OUTS 全20巻 完結セット (ヤングジャンプコミックス)


【書きながら聴いていたBGM】

池袋ウエストゲートパーク オリジナル・サウンドトラック




んじゃまたな(^ー^)ノ