祝!発売
LINEの嫌いなところがわかりました。
うまく説明できるか、うまく伝わるかがわからないんですが、その・・・、“接続感”と“当たり前感”といいましょうか。
もちろん“人”の媒介となるツールである以上その使い方は多分に属人性に起因したものになるとも思うんですが、えっ?つまりオレこれ単純に周りの人が嫌いってこと?いや違う違うそれは置いといて、
メールって、“切る”ことができるんですよね。“始まり”があって“終わり”がある。そこには私の大好きな“挨拶”があるんです。しかしながらLINEにはそれがない。人と人の、一対一のコミュニケーションでありながらそれがないのって、ちょっとおかしくない?と思ってしまうわけです。
Twitterはいいんです。元々独り言を前提としているところもあってか、ゆるやかな繋がりであり、Twitterは我々に概ね何も求めてこないので。それに対してLINEは、読むことを要求してくるんですよね。[既読]を前提としている。その感じがたまらなく居心地が悪いんです。
直接LINEがそう言っているわけでも、まして誰に言われたわけでもないんですが、「わかってるよね?ほら、あたしからメッセージくるよ?当たり前でしょ?」みたいな。「読んでよね!ねぇ。っていうか、読むでしょ?ねぇ。見てるからね!」みたいな。
嫌いな種類の予定調和、というか、耐え難い期待感、というか。ほらね、うまく説明できないんです。考えすぎなのはわかってるんですけどね(い抜き)。
人間というのは、とりわけ現代日本人に顕著なのでしょうか。「得体の知れないものに嫌悪感を示す」習性があるようです。LINEについての私の見解も多分にそれによるものなのだと思います。
っていうかまぁ、そんなん気にし出したらキリないから普段はそんな思考シャットダウンしてるんですけどね
おはようございます。しごつーです。ご挨拶が遅れましてすみません。皆さんお疲れのご様子で。よくお休みになってくださいね。全く。
ネットってすごいですよね。本当に。今ではこの所謂常時接続の感覚みたいなものが当たり前になってしまって、恐ろしいものです。Blogなんかも一種そうなのかな、とも思います(あれ?今日話題転換下手だね)。常にそこにある、というか(うわこれひどいね)。
(まぁそのままお付き合い下さい)
このBlogって、長いじゃないですか。一件一件が。
しかしながらというか、あのー、わかるじゃないですか。ある程度。
スクロールバーの長さで。
これある程度助かってるんですよね。お読みになる皆さんがこれをどれだけ理解してくださっているかわからないんですが。っていうかまぁ全然気にしないでもいいんですが。ある程度「あとこのくらいで終わるかな、」と考えながら読み進めると、いつもより8%ぐらい増しで楽しめるかなと思います。まぁ内容で途中からオチまでどのくらいか見えるようにはしているんですが。
それに関連して、
気付いたんですよ。電子書籍の大きな特徴に。
まぁそんなに引っ張ることでもないんですけど、「残りページ数を気にせず読める」ということです。
総ページ数も含めて常に画面上に表示されているタイプのそれがあるとしたらその限りではないんですが、これは大きな特徴だな、と思いました。
というのも、今日までとある本を読んでいたんです。小説なんですが(こんど感想文書きましょうかね)。電子版が出ているかわからないんですが、ちょっとこれ、電子で読んでみたかったな、という気もするんですよ。どっちが良いかはわからないんですが。
目次というか、章ごとのタイトルに特徴のある作品で、最初に目次を見ただけではわからないんですが、読み進めるうちにわかってきてしまうんです。
「あ、これ主人公死ぬやつだ」って。
まぁそこまではいいんです。まぁ案の定死ぬんですけど、たぶん作者もそれを推察させる前提で書いているハズなので。問題はここからですよ。
・・・終わりが近づくのが、わかっちゃうんですよね。
作品に限らずもちろん内容、展開からもある程度予想できる部分はあるとは思うんですが、なんというか、ラストに向けてのハラハラ感みたいなものを奪われてしまった気がしないでもないんですよね。読みながら終盤「そろそろ終わるな。あと10ページぐらい・・・、なるほど」とか思っちゃうんですよ。これが切なくて。で、思ったんです。
電子書籍なら残りのページ数がわからないし、ハラハラしたまま読めるんじゃないか、って。
これはメリットなのかデメリットなのかわかりませんし、メリットでありデメリットなのかもしれないんですが、これはハッキリとした紙書籍と電子書籍の差異だなぁ、と痛感しました。
両者の差異についてはさまざまなところで言及されていますが、概ね「質感」だとか「動作」あるいは「機能性」について触れるものばかりで、議論の内容が作者の視点に立てていない、若しくは「こいつら何言ってんの?見たらわかる上っ面のことしか話してねーじゃん」と思っていました。それもそうです。単に持ちやすさや保存のしやすさのために「文庫版」なんていうものが蔓延る世の中ですからね。私が(基本的に)文庫版を好まない理由については以前このBlogでも言及した通りで・・・すが、もっかい書きます?まぁつまり「装丁まで含めて作品だろ!」っていうことなんですけど、それが失われる、という点でハードカバー或いはオリジナル版と、その他の例えば文庫版や電子版との間に明確な差異があると思います。もとい、あります。
一概にどちらが良いとも申し上げられないんですけどね。作者サイドの意見も分かれるでしょうし、読者側からしても。まぁ本音はどうあれ作者サイドは「どちらでも」と言ってくるとは思うんですが、私のようなモンスターカスタマーは「お前のでいいから言えよ!(©日村勇紀)」と騒ぎ立てると思うので、できれば熱烈なファンのためだけの公式サイト等で「どちらかというならば○○版で読むのがオススメです」といった見解を発表するのも悪くないんじゃないかな、なんて思います。
私のBlogについては先に書いた通りです。ま、どっちでもいいんですけどね(乾いた笑い)。
あ、そうそう本っていえば、書いました。
もぐささん。発売日即ゲット。平積み量少なくないですかね。ナメてるんでしょうか。もぐもぐする漫画なのに(うまい。(←ダブルミーニング))
買ってよかったです。幕間のオマケマンガも良い。もちろん今週の本誌(ヤンジャン)もものすごく楽しませていただきました。なんなら泣けました。
これからは毎週もぐささんを楽しみに生きてゆきます。
大竹先生!陰ながら応援しています!!
んじゃまたな(^ー^)ノ
MC452
うまく説明できるか、うまく伝わるかがわからないんですが、その・・・、“接続感”と“当たり前感”といいましょうか。
もちろん“人”の媒介となるツールである以上その使い方は多分に属人性に起因したものになるとも思うんですが、えっ?つまりオレこれ単純に周りの人が嫌いってこと?いや違う違うそれは置いといて、
メールって、“切る”ことができるんですよね。“始まり”があって“終わり”がある。そこには私の大好きな“挨拶”があるんです。しかしながらLINEにはそれがない。人と人の、一対一のコミュニケーションでありながらそれがないのって、ちょっとおかしくない?と思ってしまうわけです。
Twitterはいいんです。元々独り言を前提としているところもあってか、ゆるやかな繋がりであり、Twitterは我々に概ね何も求めてこないので。それに対してLINEは、読むことを要求してくるんですよね。[既読]を前提としている。その感じがたまらなく居心地が悪いんです。
直接LINEがそう言っているわけでも、まして誰に言われたわけでもないんですが、「わかってるよね?ほら、あたしからメッセージくるよ?当たり前でしょ?」みたいな。「読んでよね!ねぇ。っていうか、読むでしょ?ねぇ。見てるからね!」みたいな。
嫌いな種類の予定調和、というか、耐え難い期待感、というか。ほらね、うまく説明できないんです。考えすぎなのはわかってるんですけどね(い抜き)。
人間というのは、とりわけ現代日本人に顕著なのでしょうか。「得体の知れないものに嫌悪感を示す」習性があるようです。LINEについての私の見解も多分にそれによるものなのだと思います。
っていうかまぁ、そんなん気にし出したらキリないから普段はそんな思考シャットダウンしてるんですけどね
おはようございます。しごつーです。ご挨拶が遅れましてすみません。皆さんお疲れのご様子で。よくお休みになってくださいね。全く。
ネットってすごいですよね。本当に。今ではこの所謂常時接続の感覚みたいなものが当たり前になってしまって、恐ろしいものです。Blogなんかも一種そうなのかな、とも思います(あれ?今日話題転換下手だね)。常にそこにある、というか(うわこれひどいね)。
(まぁそのままお付き合い下さい)
このBlogって、長いじゃないですか。一件一件が。
しかしながらというか、あのー、わかるじゃないですか。ある程度。
スクロールバーの長さで。
これある程度助かってるんですよね。お読みになる皆さんがこれをどれだけ理解してくださっているかわからないんですが。っていうかまぁ全然気にしないでもいいんですが。ある程度「あとこのくらいで終わるかな、」と考えながら読み進めると、いつもより8%ぐらい増しで楽しめるかなと思います。まぁ内容で途中からオチまでどのくらいか見えるようにはしているんですが。
それに関連して、
気付いたんですよ。電子書籍の大きな特徴に。
まぁそんなに引っ張ることでもないんですけど、「残りページ数を気にせず読める」ということです。
総ページ数も含めて常に画面上に表示されているタイプのそれがあるとしたらその限りではないんですが、これは大きな特徴だな、と思いました。
というのも、今日までとある本を読んでいたんです。小説なんですが(こんど感想文書きましょうかね)。電子版が出ているかわからないんですが、ちょっとこれ、電子で読んでみたかったな、という気もするんですよ。どっちが良いかはわからないんですが。
目次というか、章ごとのタイトルに特徴のある作品で、最初に目次を見ただけではわからないんですが、読み進めるうちにわかってきてしまうんです。
「あ、これ主人公死ぬやつだ」って。
まぁそこまではいいんです。まぁ案の定死ぬんですけど、たぶん作者もそれを推察させる前提で書いているハズなので。問題はここからですよ。
・・・終わりが近づくのが、わかっちゃうんですよね。
作品に限らずもちろん内容、展開からもある程度予想できる部分はあるとは思うんですが、なんというか、ラストに向けてのハラハラ感みたいなものを奪われてしまった気がしないでもないんですよね。読みながら終盤「そろそろ終わるな。あと10ページぐらい・・・、なるほど」とか思っちゃうんですよ。これが切なくて。で、思ったんです。
電子書籍なら残りのページ数がわからないし、ハラハラしたまま読めるんじゃないか、って。
これはメリットなのかデメリットなのかわかりませんし、メリットでありデメリットなのかもしれないんですが、これはハッキリとした紙書籍と電子書籍の差異だなぁ、と痛感しました。
両者の差異についてはさまざまなところで言及されていますが、概ね「質感」だとか「動作」あるいは「機能性」について触れるものばかりで、議論の内容が作者の視点に立てていない、若しくは「こいつら何言ってんの?見たらわかる上っ面のことしか話してねーじゃん」と思っていました。それもそうです。単に持ちやすさや保存のしやすさのために「文庫版」なんていうものが蔓延る世の中ですからね。私が(基本的に)文庫版を好まない理由については以前このBlogでも言及した通りで・・・すが、もっかい書きます?まぁつまり「装丁まで含めて作品だろ!」っていうことなんですけど、それが失われる、という点でハードカバー或いはオリジナル版と、その他の例えば文庫版や電子版との間に明確な差異があると思います。もとい、あります。
一概にどちらが良いとも申し上げられないんですけどね。作者サイドの意見も分かれるでしょうし、読者側からしても。まぁ本音はどうあれ作者サイドは「どちらでも」と言ってくるとは思うんですが、私のようなモンスターカスタマーは「お前のでいいから言えよ!(©日村勇紀)」と騒ぎ立てると思うので、できれば熱烈なファンのためだけの公式サイト等で「どちらかというならば○○版で読むのがオススメです」といった見解を発表するのも悪くないんじゃないかな、なんて思います。
私のBlogについては先に書いた通りです。ま、どっちでもいいんですけどね(乾いた笑い)。
あ、そうそう本っていえば、書いました。
もぐささん。発売日即ゲット。平積み量少なくないですかね。ナメてるんでしょうか。もぐもぐする漫画なのに(うまい。(←ダブルミーニング))
買ってよかったです。幕間のオマケマンガも良い。もちろん今週の本誌(ヤンジャン)もものすごく楽しませていただきました。なんなら泣けました。
これからは毎週もぐささんを楽しみに生きてゆきます。
大竹先生!陰ながら応援しています!!
んじゃまたな(^ー^)ノ
MC452