もぐささん | MC452 オフィシャルブログ 「大都会での粋な日々」 Powered by Ameba

もぐささん

「○○っていうBlog書きます」っていうのが最近まぁまぁ定番になってきているんですが、「面白そう!楽しみに待ってますね!」といった反響が全然無いのでそろそろやめようかとも思っています。



Blogって難しいんですよね。中途半端な媒体で。みなさんどんな気持ちでどんな状況でどんな場所でどんな顔して見に来て下さっているかわからないので。まぁそれは何でもそうか。まぁでも「あっ、こういう話をするんだな」と思って見に来ていただいたらより伝わるかな、なんて。まぁ何でもいいんですが。



私としては以前ここにも書いたように基本的にはお昼の放送みたいなテンションでやっているんですが、まぁ演説というかスピーチというか、こう云うと仰々しいですね。まぁスタンスとしては落語みたいなものだと思って読んでいただければいいですかね。笑うトコない?やかましいわ。



週間ヤングジャンプ、みなさんお読みでしょうか。



私はゼットマンとべしゃり暮らしだけ読んでいるんですが(伝われ)、今週巻頭グラビアが最上もがさんだったので手に取ってみたんです。



そしたらね、



いやこれ掛け値なしになんですけども、



率直な感想ですよ。









可愛いね。



えっ?いや、もがちゃんもがちゃん。可愛いてしゃーないですね。



それでというかコレ常々思っているんですが、なんでああいった雑誌のグラビアって水着写真が多くなってしまうんでしょうね。皆さんパイオツが見たくていらっしゃるんでしょうか。



いや、まぁわかるっちゃわかるんですよ。「愛がいっぱいIカップ」でお馴染みの某氏であるとか、お尻がなにがしであるとか(すいません特に例が思いつかなくて)、カラダを売りにした(というと聞こえが悪いですが)コピーをお持ちの方々はそれはカラダを撮した方がいいと思うんです。



しかしね、にしてもね、いや、じゃあ逆にてじまゆうさんの顔面を誰が見たい?と(ひどい口ぶり)。いや、待って待ってわかるわかる。彼女の顔面が好きな人、たくさんたくさんいると思います。私も好きな種類の顔面です。だったらね、もう顔面だけ撮してくれ、と。わかります?



ブレんじゃん。



えっ?何これオレだけ?うそぉ。



いや、今週のヤンジャンの巻頭グラビアを見て切に思ったんですわ。



オレはもがちゃんの鎖骨から下に一切の興味がない!撮さんでくれ!と。



・・・えっ?オレだけ?



おはようございます。しごつーです。ご挨拶が遅れましてすみません。「すみません」の予測変換で「角ません」が出てくるの、何故なんですかね。そんな使い方する人いるんでしょうか。いるとしたらそれたぶん日本人じゃないと思うんですが。



「○○っていうBlog書きます」って書いたからってその直後に書き始めるわけじゃないんですよ。これは私の中で“Tweetの延長のタイプのBlog”と呼んでいるものでございまして、「すげー書きたいからこれ140文字ずつじゃまどろっこしいことになるわ」っていう意味なんです。まぁメモ帳で事足りるんですが。



でね、



まぁ可愛いもがちゃんの“顔面”を見て満足した私なんですが、そのまま読み進めてみたんです。



もぐささん



今週が8話と書いてあったでしょうか。初めて読んだんですが、



バチクソ面白い。



内容はここで語るのも野暮なんでだいぶと割愛しますが、何せ進め方から何から素晴らしい。



主人公(もぐささんではない)の一人称視点で描かれるストーリーなんですが、心の中の声、ってカタカナでなんていうんでしたっけ。モノ...えっ?何?モノ...何?ローグ?まぁつまりそれで進んでいくんですね。“もぐささん”を観察しながら。



これが良い。



やっぱり「不思議なもの」を見る主人公視点で進むやつって感情移入しやすいですね。ガッ!と入れる。ルーキーズは御子柴目線、るろうに剣心は弥彦目線で読むのが1番面白いと思っています。



で、さらになんですけど、



これ「もぐささん」というネーミングが素晴らしい。



読んでいただくのが早いんですが、ほんと「もぐささん」しかありえないと思えるキャラクター。本当に素晴らしい。御子柴より弥彦より素晴らしいです。



これは私の好きな「名前の記号性」というお話なんですが、わかりやすく云うと俗に「イメージ」と呼ばれるものです。



例えば「MC452」よりも「しごつー」の方が親しみやすそうに見えたり、「山本徳郁」と書くよりも間にアルファベットを三つ程入れた方がなんだか強そうだったりイキってそうだったりします。単純に人の名前だけ取っても、例えば「蜂須賀さん」とか「鬼塚さん」ってなんだか強そうに見えたり(個人の感想です)、「林田さん」とか「山岡さん」はなんだか優しそうな気がしてきますよね(あくまで個人の感想です)。



これは「名前」というものが単なる「呼び名」としての役割を超える、という意味で、「言葉」には無限の可能性があるなぁと思わされる点の一つとしてすごく大好きなんです。私、子どもできたら名前付けんのすげー悩みそうですね(嫁に任せます)。



で、この「記号性」って、デジタルなものとアナログなものがあるんですよ。これも説明がいるんですが、簡単に云うと“アナログ”は“見たら誰でもわかるもの”、“デジタル”は“知っている人は にはわかるもの”といった意味合いです。



例えば「だいなごん」と呼ばれている男性がいるとしましょう。2歳児は彼の呼び名を聞いてどう思うでしょうか。恐らく「ダイナゴン...なんか強そう...かっこいい...」といったところでしょう。洋の東西を問わず(過言)。しかしながら大人が思うことは全く異なります。「大納言...偉いのか...?」もしくは「おいしそう...」といったところでしょう。余談ですが英語圏の方は「dino... sounds like so strong...」なんて思うでしょうか(ひどい過言)。要するに、「だいなごん」はアナログな目線(幼児目線)でもデジタルな目線(大人目線)でも「カッコいい」ないしは「仰々しい」という意味を持つ記号であるわけです。わかりますかね。付いて来てます?



そこへ来て「もぐささん」。



素晴らしい。タイトルを平仮名にしたセンスもそうですし、「百草」が記号性を爆発させています。まぁさせているのは作者の大竹利朋先生なんですが。



いやー、素晴らしい。ものっっすごいもぐもぐする感じ伝わって来ますもんね。また「百草さん」っていう呼び方も良い。これは記号性とはちょっとズレますが。まぁ読んでみてください。面白いんで。



普段私はパブリックな場所だと何にでもポジティブな感想を云うことが多いので多少こういったオススメの時には信を失うかもしれないんですが、



こんだけ書くってことはもう、ね。わかりますよね。



ま、そんな感じです。何これ今日枕以外ぜんぶもぐささんの話しかしてないじゃないですか。大丈夫ですかね。まいっか。



んじゃまたな(^ー^)ノ





MC452