“わくわくする未来”を求めて | MC452 オフィシャルブログ 「大都会での粋な日々」 Powered by Ameba

“わくわくする未来”を求めて

11月の文化系トークラジオLife感想ガチ勢です。


んんー、疲れたなぁ。今回は予告編の記事もそこそこ長めに書かせていただきましたが、まぁやっぱり楽しかったですね。



で、まぁたぶんにまた長くなると思ったので順を追って話を進めてゆこうかなぁ、と思ったんですがそれは私がやらなくてもLife助手のみなさんがホムペにガッツリ上げてくださっているので、気になる方は[文化系トークラジオLife]で検索してみてください。リンク貼ったら怒られるかなぁ。どうかなぁ(牽制)。



おはようございます。しごつーです。早めのご挨拶をしたのは、今回長くなるからです。印象に残ったところだけ掻い摘んで参ります。



第一パートは紹介ばっかりで終わってしまったんでアレなんで、まぁPart2から。



冒頭のメール、実に印象的でした。「人間は、現在の延長線上でソウゾウリョクを働かせることは得意ですが、全く新しいものをソウゾウするのは苦手なのだと思います。」というところ。あまり拾われませんでしたが。私はこれ、セットだと思うんですね。システムだけでは外に出せないし、インターフェースがいくら良くても機能が伴わなければ何の意味もなさない。一緒に進化してゆくものなのではないか、と思います。スティーブ・ジョブズが讃えられたのはその両方を見事に実現して見せたからではないでしょうか。ましてイノベーションがクレゴール化している昨今、中身も外側も、複数の分野のスペシャリスト(とは限りませんが)たちがチカラを合わせて“未来”を創ってゆく時代なのだと思います。midnightPumokinさんの『ソライロミライ』にありました。


「ゆっくりと進んでゆく道の向こう ほら絆がキラメク」
(詞:MAYA/wakana)




外見をキレイにするスペシャリストは評価されやすいでしょう。しかしその内側を作る人、ベースを作る人(、あるいはこれに加えて出資者)も含めてみんなが評価されるべきなんだと思います。たぶんに“想像力”に溢れている人もこの島にはたくさんいるんだと思うんですけどね。



イノベーションの方に話を戻します。



これ、たぶんに何についてもそうなんでしょうが、「新=良」では無いんですよね。クルマにしたって楽器にしたって文字にしたって絵にしたって、昔からあるインターフェースや手法が好きな人もいるし、「すべてが新しいものに取り替わるべき」というのが間違いだというのは、震災当時オール電化を悔やんだみなさんがよくご存知のことと思います。



ただ、良いものは良いです。攻殻機動隊の1話(予告編の記事を参照のこと)で少佐が「公私混同を命令で出すほど野暮じゃないわ」とおっしゃっていたのが良い例で、ナマのカラダを使うならナマなりにしっかりやれ、ということです。自分のキーが足りないなら人を立てるなりボカロ使うなりピッチシフターなりいくらでも手段があるんだから、それを使わないと決めた以上文句云うんじゃねぇ、という。



客観的にも主観的にも、古いものと新しいものの双方に「良い面」があるのは自明。少佐の云うとおり「何の為にあんたを本庁から引き抜いたと思ってるのかしら。落ち込むヒマがあったら、自分の特技で貢献しなさい。」ということなのでしょう。



続いてトイレの話が出ました。「新しい施設がオープンすると最新テクノロジーはトイレとエレベーターに」とチャーリーがおっしゃっていて、無水トイレの話に花が咲いていたわけなんですがここですごくくだらない話をさせてください。女性のみなさんあまりご存知ないかもしれないんですが、男子トイレは個室だけじゃないんですよ(それぐらいは知ってるだろ)。で、小便用の・・・便器?っていうか尿器と云ってもいいんじゃないか、って思って検索したら「尿器」って全然違うんですね。こんなの↓でした。


じゃなくてまだ余談続くんですけど、小便器、って云っていいんですかね。あれがまぁ並んでるんですけど、あれね、勝手に水流れるんですよ。



でね、「消臭・排水管の詰まり防止の為、人がいなくても水が流れることがあります」ってわざわざ書いてあるんですよ。



それ書かんといかんか!?



いや、わかんじゃん。考えたらわかんじゃん。ていうかそれ誰の為に書いてんの??「なんか、勝手に水流れたんですけど大丈夫ですか?」って電話でも来たの?アホなの?



取り乱しました。話を戻しましょう。



衛生・コスメの話はもうこれ以上広げられないんで第2部こんなもんでいいですかね。振り返ってみると第2部は“未来”の話というよりもトレンドの話に傾倒していた、という感じがします。一番おもしろかったのは斎藤さんの選曲。


たまたまこのあたりからUstが混んでいてradikoで聞いていたんですが、なるほどなんかこの曲は近未来的な衣装とか着てたしなー、ぐらいに思っていたんですが、とんでもない。さすが斎藤哲也さん。Bメロですよね。


「明るい未来に 就職希望だわ」
(詞:つんく)


チャーリーはトレンドとの関連で云っていたんですが、わりと『LOVEマシーン』の歌詞はすごいものだと思います。世俗的な背景と重ねて云うとこれ・・・、恋愛結婚を促進するやつだったんですかね。いろんなところから切れそうですが。西森さんとか水無田さんが話したらおもしろそう。



続けます。



Part3はまるまるロボット技術のお話。前半では神里氏の言葉が印象的でした。纏足や入れ歯、化粧といったものとサイボーグ化は不連続なものではない、という。八代氏の云うように自己同一性の問題や今までついていた身体との整合性の問題も出てくるとは思うものの、たしかにそういった見方もできなくはないのだろうな、と思います。



腕をまるまるサイボーグ化するのと手袋をはめるのとでどんな差異があるのか、というと、一番わかりやすいところでそれは“神経回路”なのではないかと思います。つまり“脳と繋がっているかどうか”というのがサイボーグと手袋との差、なのではないでしょうか(「アルファス」はサイボーグとみなさないもの考えます)。





結局、電脳化(人間の脳に機械を埋め込み、コンピュータ化すること)するのかしないのか、というところに話が行き着くのではないか、と思うのです。後半で津田さんがおっしゃっていた「ビッグデータにできないか」というところにも繋がるわけですが。そこでの問題がやはり同一性、わかりやすくいうと「何をもって“ニンゲン”とするのか」というところ。多くの人間が電脳化した攻殻機動隊の世界では、電脳の中には人それぞれ「ゴースト」がいる、それが人を人たらしめる、という描き方をしています。日本語で云うところの“魂”といったところでしょうか。だとするならば、エンジェル・ハートよろしく心臓には心臓の、足には足の、眼球には眼球の魂が宿るのではないかとも思います。もっと云えば、我が国には「ツクモガミ」というものがあります。指輪にだって手袋にだって“神”が宿る。つまり、何がしかの衣服を纏った時点で人間はもう生身の人間たりえない、とも考えられるわけです(長めの屁理屈)。



なんだか話の方向がガチャガチャしていってしまいましたが、やっぱりこういった話は尽きませんね。また今度改めて書くこととしましょう。



Part4は機械、ないし器械の話でした。



人間ってそんなになんでもかんでも機械に頼らないといけないんでしょうか。Part3の内容を引き継ぐところでもあるSF的な話ですが、後半、3Dプリンタのお話を聞いていてHUNTER×HUNTERを思い出しました。ウイングさんが云っていました。人間は微量のオーラを常に垂れ流している。それを目覚めさせて操るのが念能力だと。幽☆遊☆白書よりもだいぶと現実味を帯びた説明な気がします。技術が進化してゆくのに伴って人間の“地の力”は退化してゆく、という見方は多くありますが、逆に生身の人間も進化してゆくことがあるのではないでしょうか。こっちの方が数段ワクワクします。3Dプリンタの進化より、具現化系能力者の発現を臨む次第です。私などは気まぐれで嘘つきなので、念が発現してもおおかた変化形だとは思いますが。ま、生身の人間の進化のお話をするならば、情報処理技術はひと昔前より数段向上しているのでしょうけど。



Part5は冒頭のメール「命のリレー」という言葉がすてきだなと思いました。中島みゆきさんからの引用でしょうか。やはりお子さんがいらっしゃる方はお子さんが人生の主役になってゆくのでしょう。私もいつかはそうなるのでしょうか。「未来を担う世代」、次世代倫理のお話。このへん本放送の日は私もう意識完全に飛んでましたね。



環境問題の観点等あまり知識のない部分のお話なのでちょっと言及しづらいんですが、やはり大規模なお話は政治と絡めて進めなければならないところなのでしょう。チャーリーのおっしゃる通り皆「消極的なスタート地点しか描けない」のではないかなと思います。私もそう。もちろん「良い」方向に話を進めるのは大切なことだとは思いますが、現状のマイナス面から目をそむけることはできません。



リベラルな科学者の立場からも原子力発電のリスクより火力発電のリスクの方が高いと言っている、という話、また、温暖化は避けられないため、それをベースに未来を考えていったほうがポジティブなんじゃないの?というところから柳瀬氏のお話。これ深夜3時に聴いて理解できる自信がありませんね。いま2回聞き返してもなんかよく咀嚼できていない心地です。Part6古市氏の言葉にあった、未来を構想する無意味さ、というところにもありますが、今考えてもしょうがないのかな、とも思います。ざっくり云うと、原子力と火力の2択で考えるべきなのか、という。絵空事ではありますが、空に絵を描かずに机下に落としこむことはできないと思います。ディズニーランドの件は別として、「科学者よりも・・・」という点は速水氏に激しく同意します。



ここから外伝に入ります。



まずもって本編に引き続き某氏のディズニーの見方が甘すぎることにガッカリするところでした。ディズニーファンから苦情来るんじゃないかっていうぐらい。私もあの本買って読んでみようかしら。


ディズニーの話はそれこそ尽きないので省きますが、Charlieの「ここではないどこか」というのがまさに端的な「未来」の換言なのでしょう。それで、「円環」のところに繋がります。つまりsustainabilityへ。この考え方とフロンティアの複合が、めろん先生のおっしゃっていた「螺旋」なのではないでしょうか。「螺旋」という言葉を聴くとどうしてもファイナルファンタジーⅩを思い出してしまいますが、螺旋というのは途切れないものなんですよね。円は1周したら区切れる、直線は始まりと終わりが必ずある、のに対して螺旋は終わることがない。ミもフタもない表現ですが、どんなものも螺旋状に進化してゆくものなのではないか、と思います。レトロ・ノスタルジーブームにしてもルネサンスにしてもはたまたファッションにしても。



移動手段と位置の話でいうと、これまではいたちごっこ的に移り変わって来たのだと思います。それで多摩ニュータウン。それこそ橋本にリニアが来るわけですから、予見の通りになったのかなと思います。が、こんなもんでは終わらないだろう、というのが私の未来観です。即ちエヴァンゲリオンなら第3新東京市、攻殻機動隊なら新浜。東京である必要は全く無いわけです。黒川紀章のメタボリズムの考え方とは違うんですが、技術の前では交通、移動手段など全く意味を持たないのではないでしょうか。これはロシアとアメリカにホットラインが繋がるよりずっと前から始まっていたことで、Charlieの云うように、交通も移動手段からノスタルジーの一つになっていく時がすぐにやって来るのでしょう。究極を云えば傀儡廻しで済むわけですし。



エヴァンゲリオンはやはり“わくわくする未来”ですね。ダイナブック構想を具現化(といってよいのでしょうか)した佐賀県の目論見は楽しみです。Charlieのいう「教育の電子化と教材の電子化」は私も現状にジレンマを感じることがありました。以前アルバイトをしていた塾では当時教材(あるいは教育)の電子化過渡期で、講師たちは目に見えて戸惑っていました。また、大学では恩師()某教授がWeb上にWikiページをつくり、講義レジュメを公開するなどしていましたがCharlie同様しっかりプリントは出力して教室で配っていました。



教育の場のみならず、この世の中で情報をしっかり共有できないのは困ることです。ノウハウも含めて。それを有償にすべきか否かはわかりませんが、紙でやるのとデータでやるのとでどちらが効率的かは自明です。それで「先頭を走る人だけじゃなくて云々」の話になっているのでしょう。じゃあ「追いつけない人々」はどうすればよいか、というと、もちろん無視して放っておいていいわけがなくて、絶対に引っ張っていってあげないといけないわけなんですが、そこのチカラも評価されて然るべきなのではないでしょうか。記事序盤で書いた話にも繋がり、また全体を通して共通に申し上げられることかもしれません。それぞれの分野に秀でたチカラがあるのでしょう。津田氏の「こっち来いよ」も一つの方法かもしれません。私もそういうタイプですが。しかしながら他の道具を持っている人間もいると私は信じています。みんなみんなで登っていった方が絶対に楽しいわけだから。



と、いうわけでこんなもんですかね。まとまってないな。いや、これ単に「感想」だから別に何かをまとめなくてもいいのか。いやよくないか?



ま、なんでしょうね。私は基本的に功利主義の考え方だったんですが、最近それはよくないんじゃないかな、と考えるようにもなってきました。即ち、不幸な人が出てはいけない、と。どれだけ技術革新があっても、社会構造が変わっても、得をする人間がどれだけ増えるかなんていうことはどうでもいい、と思うのです。なので、我が国のTPP加盟には現状反対です。話がそれました。



とはいえ便利なものがある以上、それを指をくわえて見ているようなことはしたくありません。しかしながらその恩恵に全くあやかれない方々を見ているのも忍びないので、良い手段を知らない私は津田さん同様「こっち来いよ」と云い続けることとします。ま、そのためにいつもこのBlogを書いているんでしょうけどね、なんて。



なんだか最近Lifeを中心に一ヶ月のサイクルを歩んでいるような心地がして来ました(過言)。



これ今ふと思ったんですが、「感想戦」だけじゃなくて「感想の感想戦」みたいにしてLifeの輪が広がって行ったら面白いですね。しかもこういったことをノーマージンでみんながやるのがすばらしい。私もこれ書くのにどんなけ時間かけてるかなんて引かれるから誰にも云わないんですけど、こんなん書く人たちってみんながんばってやってらっしゃるんだろうなぁ。みなさんお疲れ様です。よろしければコメントをお寄せいただけると嬉しいです。



んじゃまたなパー
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