罪ト罰ノ意識
がっつり寝坊しておいてこんなことを申し上げるのもどうかと思うが、ちょっと今から真面目な話をする。
普段のアホモードの私しかご存知ない方々(概ね全ての知人)はびっくりするかもしれないが、たまにはこーゆー真面目なところも見せることで、
・・・ま、いわゆるそういうことである。モテたいのである。
まず私がなぜいま某二流大学の法学部に通っているかということからお話を始めよう。
もちろん二流なのは私の学力が原因であるが、
なぜ法学部を選んだかというと、ひとえに法律家を志したからにほかならない。
18歳の時にだ。
18歳の心理というのもなかなか面白いもので、振り返るとまぁ当時の私としては良い決断をしたと云ってよいだろうと思っている。
これから進学、就職、という道を前に、「一生できる仕事」なおかつ「それなりに上流階級のそれ」を選ぶこと、
加えて元来喋るのが好きな私は、それを生業とすることを考えたのだ。
結果導き出されたのが法律家の道である。なんと短絡的であることか。
しかしその道の長く険しいことに初年度で気付き、易々と挫折した私はなんだかんだで今に至るわけだが、
そんな私でも、なんとなく試験に対応出来るか出来ないかの瀬戸際程度の法律の知識はある。
そんな中で思うことを述べる。
この契機となったのは云わずもがな、
昨今世を騒がせている耳かき事件(たぶん何年かしたらこの事件がそんな名前で判例集に載ることを予想して)である。
現段階で控訴するか否かについては報じられていないので何とも申し上げられないが、
この初審判決について私の思うところをお話する。
端的に申し上げると、
やはり死刑が相当であったように思う。
判例から測すに永山基準を考慮に入れて出された判決であるかとは思うが、
やはり被害者遺族の心情を思うと判決にはやりきれない気持ちである。
あまり法律に詳しくない方が読んでいることも考慮してざっくり申し上げると、
刑法では、人間を殺すと死刑か無期懲役ということになっている(ほんとにざっくり)。
で、本件であるが、
二人。
二人を殺害して、
まさかの無期懲役である。
まぁこれだけ読むと、おかしいような気持ちがするのではないかと思う。私はそう思っているので意図してこう書いているので当然であるが。
もともと、
刑罰にはその機能が二つある。
予防機能と隔離機能。
これまたざっくり申し上げると、違法行為の抑止と再犯の防止、そして犯罪者から一般市民を守るためである。
もちろんこれは死刑でなくとも充分に保たれるものである。
しかし、
刑法の機能として、
規制・保護・保障
というのがある。
これが守りきれないのではないかと私は考える。
わかりやすく云うと、
「なんだよ二人殺しても死刑んなんねーんだー♪( ´▽`)こりゃいいや♪( ´▽`)オレもやったれ」
という人間が出て来ないとも限らない、ということである。
もちろん全くこの通りではない。ではないにしても誰しもこれに近い感情をお持ちになるのではないだろうか。
今回の判決の考慮事項として、
「被告人の反省の意思」
ということが挙げられていた。
これを理由として極刑を免れることは、正に謝ったら許される理論と申し上げるしかない。
これが法治国家と呼べるのでしょうか。
私はそうは申し上げられない。
そもそも、
法的観点からみても、道徳的観点からみても、
殺人は決して赦される行為ではない。
それを云うなれば反省しただけで、
偶発的なそれであったからという理由だけで、極刑を避ける判決としたことは、納得がいかない。
こう考えるのは私だけだろうか(反語)。
もちろん私個人が被害者並びに被告人に対して個人的感情を抱いているわけではないこともわかってほしい。
加えて、
今回被害者の職業、これが今回の事件の発端となった一因であったとも云えるわけであるが、これもなかなかの問題であるかのように思う。
陳述には、「被害者と被告人には長きに渡って良好な関係があった」ような記述があったようであるが、
水商売をやる人間が客と(それが表面的なそれであるか否かに関わらず)良好な関係を築かない、保たないわけがない。
なおかつ(ここは個人的な感情であるが)、「耳かき店」というところも考慮してあげて欲しいものである。
なぜ耳かき店かと。
なぜ風俗でもなくキャバクラでもなくガールズバーでもなく耳かき店なのか。そこから被害者の人間性を推し量ることができなかったのかと、はなはだ疑問に思う。
かつて水商売をしていた私なので、もちろん耳かき店や風俗店を含め、そういった職業に従事する方々を卑下し、侮蔑するような気持ちは全くないこともおわかり頂きたい。
論点が多少ずれたように思われるかもしれないが、これが本件について私が疑問に思うことの最たる所である。
人の命がかかっている事件である。
雑な云い方をすれば、シロウトがビビって安易なこと云うのはどうかと思うところである。
私は控訴され、もう一度ないしは二度法廷で正当に判断がなされることを願う。
と、
申し上げたところであるが、
実のところ私は死刑という制度については反対的な立場である。
ただ我が国で最も重い刑罰がそれであるが故に、若しくは因果応報的観念から、今回の事件を含め死刑という意見が出、また、肯定されるのだと思う。
がしかし、
死ぬことが償いであるとするならば、
犯罪者は罪を犯したその場で自殺すべきである(もちろん皮肉である)。
そこで私はどう考えるかというと、
終身刑、である。
これならば刑法の、そして刑罰の機能も損なわれず、かつ人道的観点からも執行者の心が傷まないものと考える。
我が国の無期懲役は、終身の懲役でないところに問題があるように思う。
のは、私だけだろうか。
なんて、誰のBlogかわかんなかったっしょ!(笑)
ちょっと法学部生っぽい話をしてみました。
なんかね、ホントにアクセス数ってのは水モノっスな。何書いたら上がるとか落ちるとかってないんじゃないかと思えてきた。
ま、AKB48さんの生写真でも載っけてたら別だと思うけどね。
んなこと気にしてもしょーがないんで、
オレはあんま考えずにやろうと思いますわ♪( ´▽`)
んじゃまた(^ー^)ノ
MC452
普段のアホモードの私しかご存知ない方々(概ね全ての知人)はびっくりするかもしれないが、たまにはこーゆー真面目なところも見せることで、
・・・ま、いわゆるそういうことである。モテたいのである。
まず私がなぜいま某二流大学の法学部に通っているかということからお話を始めよう。
もちろん二流なのは私の学力が原因であるが、
なぜ法学部を選んだかというと、ひとえに法律家を志したからにほかならない。
18歳の時にだ。
18歳の心理というのもなかなか面白いもので、振り返るとまぁ当時の私としては良い決断をしたと云ってよいだろうと思っている。
これから進学、就職、という道を前に、「一生できる仕事」なおかつ「それなりに上流階級のそれ」を選ぶこと、
加えて元来喋るのが好きな私は、それを生業とすることを考えたのだ。
結果導き出されたのが法律家の道である。なんと短絡的であることか。
しかしその道の長く険しいことに初年度で気付き、易々と挫折した私はなんだかんだで今に至るわけだが、
そんな私でも、なんとなく試験に対応出来るか出来ないかの瀬戸際程度の法律の知識はある。
そんな中で思うことを述べる。
この契機となったのは云わずもがな、
昨今世を騒がせている耳かき事件(たぶん何年かしたらこの事件がそんな名前で判例集に載ることを予想して)である。
現段階で控訴するか否かについては報じられていないので何とも申し上げられないが、
この初審判決について私の思うところをお話する。
端的に申し上げると、
やはり死刑が相当であったように思う。
判例から測すに永山基準を考慮に入れて出された判決であるかとは思うが、
やはり被害者遺族の心情を思うと判決にはやりきれない気持ちである。
あまり法律に詳しくない方が読んでいることも考慮してざっくり申し上げると、
刑法では、人間を殺すと死刑か無期懲役ということになっている(ほんとにざっくり)。
で、本件であるが、
二人。
二人を殺害して、
まさかの無期懲役である。
まぁこれだけ読むと、おかしいような気持ちがするのではないかと思う。私はそう思っているので意図してこう書いているので当然であるが。
もともと、
刑罰にはその機能が二つある。
予防機能と隔離機能。
これまたざっくり申し上げると、違法行為の抑止と再犯の防止、そして犯罪者から一般市民を守るためである。
もちろんこれは死刑でなくとも充分に保たれるものである。
しかし、
刑法の機能として、
規制・保護・保障
というのがある。
これが守りきれないのではないかと私は考える。
わかりやすく云うと、
「なんだよ二人殺しても死刑んなんねーんだー♪( ´▽`)こりゃいいや♪( ´▽`)オレもやったれ」
という人間が出て来ないとも限らない、ということである。
もちろん全くこの通りではない。ではないにしても誰しもこれに近い感情をお持ちになるのではないだろうか。
今回の判決の考慮事項として、
「被告人の反省の意思」
ということが挙げられていた。
これを理由として極刑を免れることは、正に謝ったら許される理論と申し上げるしかない。
これが法治国家と呼べるのでしょうか。
私はそうは申し上げられない。
そもそも、
法的観点からみても、道徳的観点からみても、
殺人は決して赦される行為ではない。
それを云うなれば反省しただけで、
偶発的なそれであったからという理由だけで、極刑を避ける判決としたことは、納得がいかない。
こう考えるのは私だけだろうか(反語)。
もちろん私個人が被害者並びに被告人に対して個人的感情を抱いているわけではないこともわかってほしい。
加えて、
今回被害者の職業、これが今回の事件の発端となった一因であったとも云えるわけであるが、これもなかなかの問題であるかのように思う。
陳述には、「被害者と被告人には長きに渡って良好な関係があった」ような記述があったようであるが、
水商売をやる人間が客と(それが表面的なそれであるか否かに関わらず)良好な関係を築かない、保たないわけがない。
なおかつ(ここは個人的な感情であるが)、「耳かき店」というところも考慮してあげて欲しいものである。
なぜ耳かき店かと。
なぜ風俗でもなくキャバクラでもなくガールズバーでもなく耳かき店なのか。そこから被害者の人間性を推し量ることができなかったのかと、はなはだ疑問に思う。
かつて水商売をしていた私なので、もちろん耳かき店や風俗店を含め、そういった職業に従事する方々を卑下し、侮蔑するような気持ちは全くないこともおわかり頂きたい。
論点が多少ずれたように思われるかもしれないが、これが本件について私が疑問に思うことの最たる所である。
人の命がかかっている事件である。
雑な云い方をすれば、シロウトがビビって安易なこと云うのはどうかと思うところである。
私は控訴され、もう一度ないしは二度法廷で正当に判断がなされることを願う。
と、
申し上げたところであるが、
実のところ私は死刑という制度については反対的な立場である。
ただ我が国で最も重い刑罰がそれであるが故に、若しくは因果応報的観念から、今回の事件を含め死刑という意見が出、また、肯定されるのだと思う。
がしかし、
死ぬことが償いであるとするならば、
犯罪者は罪を犯したその場で自殺すべきである(もちろん皮肉である)。
そこで私はどう考えるかというと、
終身刑、である。
これならば刑法の、そして刑罰の機能も損なわれず、かつ人道的観点からも執行者の心が傷まないものと考える。
我が国の無期懲役は、終身の懲役でないところに問題があるように思う。
のは、私だけだろうか。
なんて、誰のBlogかわかんなかったっしょ!(笑)
ちょっと法学部生っぽい話をしてみました。
なんかね、ホントにアクセス数ってのは水モノっスな。何書いたら上がるとか落ちるとかってないんじゃないかと思えてきた。
ま、AKB48さんの生写真でも載っけてたら別だと思うけどね。
んなこと気にしてもしょーがないんで、
オレはあんま考えずにやろうと思いますわ♪( ´▽`)
んじゃまた(^ー^)ノ
MC452