私はプロサッカー選手を引退します。

22歳のときに、このキラキラした夢のような世界に飛び込んだときは、まさか15年間も続けてこられるとは思っていませんでした。

この世界に飛び込んでみると、結果を出さなければならないプレッシャーと紙一重で決まる勝負の厳しさに、息苦しさばかりを感じて、目の前の景色は決してキラキラばかりしていませんでした。

しかし、その暗闇の中で過ごすような日々に、一歩一歩丁寧に歩みを進めていくと、時に「自分は世界で一番の幸せ者なのではないか」と思えるほど眩い光に出会うことができました。

鹿島アントラーズでの三連覇。2008年のジュビロ戦でアディショナルタイムに決勝ゴールを決めたとき、空には綺麗な虹が架かっていました。
BEC TEROでの13年ぶりのタイトル。決勝ゴールを取ったとき、揺れるBECサポーターから贈っていただいた「ダイキ」コールは決して忘れられません。
ファジアーノ岡山でのプレーオフ準決勝。アディショナルタイムに決まった決勝点のとき、向かった先で見たファジアーノサポーターから湧き上がる熱気にどれだけ震えたか。
東京ユナイテッドでのラストゲーム。放ったヘディングシュートがゆっくりとゴールに吸い込まれていくとき、時間が止まり、サッカー人生の様々な記憶が一瞬で蘇りました。
皆さんと共有した素晴らしい瞬間の数々は永遠です。私の財産です。もう私の人生であれほど美しい景色に出くわすことはないでしょう。

NO PAIN NO GAIN。息苦しさの中でもがき苦しみ、悩んだ日々が私を大きくしてくれました。
大樹。私はやっと自分の名前に見合う男になれた気がしています。
それはサッカーのおかげです。

泣き虫で負けず嫌いのわがまま坊主でした。周防大島という島で生まれ、サッカーを続けるためには家族の多大な協力が必要でした。両親、兄、祖父母がいなければ私はプロサッカー選手になるどころか、サッカーをすることすらできなかったのです。

私に子供が生まれ、祖父と祖母はもう会えなくなりました。今年、祖父が他界したとき、小さいときから続いてきた私のサッカー人生の一つの形が終わりを迎えたことを感じました。

これからは新しい家族と歩幅を揃えて人生を歩んでいきます。まずは、家族との時間を大切にしていきたいと思っています。

「まだ続けてほしい。まだやれるよ。」そう言ってくださる声には感謝しかありません。しかし、私はもう私が考えるプロサッカー選手としてあるべき姿を維持していける自信もそのためのモチベーションも持っていないのです。であるならば、やめるべきだと思います。

今は解放されることへの安堵感が強いです。いつか寂しさを感じる瞬間もあるのかもしれません。しかし、それもひっくるめて、「それでいい」と思えています。

プロサッカー選手は引退します。しかし、サッカーを愛したサッカー人としての人生は続いていきます。

皆さん、ありがとうございました。本当に。
今後ともよろしくお願いします。