今週末の水戸戦は、いつもの岡山市ではなく、少し離れた津山市で行われます。今シーズン、ファジアーノ岡山に加入するまで、私の人生に岡山県との接点はあまりなかったのですが、「津山」と聞くと忘れられない思い出があります。

あれは確かJリーグが開幕した年の暮れ、私は小学5年生でした。山口県の強豪少年サッカーチームに所属していた私は、津山で開かれたサッカーフェスティバルに訪れました。決して上手な子供ではなかった私は、チームのレギュラーを取りたくて必死でした。

そのため、津山に向かう前から右足に不調を感じながら、休むわけにはいかないと、それを隠して津山に乗り込みました。スタメンで試合に出られそうだった私は、無理をしてでもこのチャンスを逃したくないと思っていました。しかし、試合当日の朝起きるとサッカーどころか歩くこともままならなくなっていました。

すぐに入院となり、私は寝たきりの状態になりました。まだ小学生で甘えん坊だった私をなんとか励まそうと、母は毎日病室に寝泊まりしてくれ、父や祖父母は毎日のようにお見舞いに来てくれました。

入院してから1週間、毎日のように検査が行われました。私は知らされていませんでしたが、当時なかなか原因がわからず、両親には「歩けなくなるかもしれない。」と告げられていたそうです。結局ほどなくして原因がわかり、2週間ほどで退院することができましたが、岩政家にとってそれまでの2週間はご飯も喉を通らない暗黒の日々だったそうです。

そのとき痛めた影響から、いくらストレッチをしても、私の右の股関節は左ほどうまく広がってくれません。何度も「この足がもっと広がれば」と思ってきましたが、同時にそんな私の右足が、サッカーができる幸せを心の底から味わった、あの外泊が許された日を、あの退院の日を、あの久々にボールを蹴った日を、思い出させてくれます。

その意味で、津山はずっと私のサッカー人生の原点でした。その地に、今週、ホームチームの一員として戻ります。私はそのことに縁や必然を、そして感謝を想っています。