よく、「やっぱり食事とか気をつけてるんですか?」と聞かれます。スポーツ選手は体が資本ですので、私ももちろん最低限のことは気をつけています。厳しい練習をしているときはタンパク質をしっかり摂って体を作らなくてはいけませんし、試合が近くなればエネルギーを貯蔵するために炭水化物を多めに摂らなくてはいけません。

ただ、私の場合好き嫌いが全くないので特に困ることはありません。ずっと体のことを考えて食べるものを選んでいると、自然にそのような食べ物しか食べなくなりましたし、それほどストイックに考えているわけでもありません。

ただ、例えば私はブラックコーヒーとチョコレートの組み合わせが大好きなのですが、いつもチョコレートを食べるわけにはいきません。そのへんは気持ちのバランスを見ながら、たまに自分へのご褒美として食べる程度にしています。

タイは暑いので毎日練習時間が遅く、帰ると8時か9時になってしまうので、以前お話ししたように外食ばかりになってしまっています。ただ、タイは外食文化で外で食べて帰るのが一般的らしく、どのお店でも必ず1人で食べている人がいるので、私も心置きなく1人で食べて帰っています。

鹿島時代も基本的には単身赴任だった私は、チームの寮で10年間、3食いただいていました。1日のリズムを大事にしたい私は、ほとんど外にご飯を食べに行くこともなく寮で食べるようにしていました。それが1番楽だったからではありますが、外に食べに行かないことで特定の選手だけでなく、いろんな選手とコミュニケーションを図ることができました。特にベテランと呼ばれる年になるとだんだん若手の選手からすると近づき辛くなりますが、寮での食事の時間でその距離を縮めることができたように思います。

今振り返ると、鹿島時代の日々の思い出は、クラブハウスでの時間はもちろん、寮の食堂での時間もかなりのウエイトを占めているように思います。みんな大体座る席はいつの間にか決まっていくもので、私は席が空いていれば入ってすぐのテーブルに座るようになり、そのテーブルで冗談を言ったり語り合ったりしていました。

鹿島に入った頃は、同期のチカシ(増田誓志)といつもそこに座り、一時期なぜか一般紙に掲載してあった中学校の試験問題をチカシが解いて、その珍回答を私が答え合わせするのが日課になっていました。1番前の席を陣取っていつも騒いでいたリュウタ(佐々木竜太)、アツト(内田篤人)、ヤス(遠藤康)は、私が何かを振ると3人で必ず返してくれるので、それが楽しくていつも馬鹿なことばかり言っていました。後ろの方でたまに冗談を言い始めるイバさん(新井場徹)に付き合うのは逆に私の役目でした。

そのテーブルで何人もの若手と語り合いました。中には向こうから悩みを打ち明けて相談してきた若手もいました。(イバさんにいつも指摘されていたように)話の長ーい私は1時間や2時間、平気で話し込んでいました。

今思うと、若手には面倒くさかったときもあったかもしれませんが、鹿島を離れても彼ら一人一人のこれからを楽しみに見ていられるのは、あの食堂での時間のおかげのように思います。