私は年代別の日本代表にほとんど入ったことがありません。唯一選ばれたのが以前お話ししたU-22のときで、そのときでさえフルメンバーではありませんでした。でも、大学3年生のときに呼んでいただいたその時から、私は同じ歳の選手たちを意識するようになりました。

私は早生まれなので1982年生まれですが、1981年生まれの私たちアテネオリンピック世代は日本サッカー界のゴールデンエイジと呼ばれた2つ上の世代の煽りを受け、ずっと谷間の世代と呼ばれていました。ただ単に79年組が特別だっただけなんですが。

同じ歳の選手は、プロに入ってからもなんとなくライバルとも同志とも言えるような、でも少し違う、どこかで意識する存在だったように思います。きっと年代別の日本代表でずっと一緒に育った選手たちはもっとその意識が強いのだろうと思います。

私たちの世代は79年組に比べて確かに派手さに欠けるものの、各チームで信頼されてコツコツと存在感を発揮してきた選手が多いように感じます。私も出場した南アフリカW杯には同世代の選手がかなり選ばれていました。私はこの世代の「色」をちょっと気に入っています。

日本代表は私にとって視界に入らないくらい遠くにあるものでしたが、鹿島に入る時点で当然、将来の目標となりました。特に、選考合宿などを重ねたりしながら選手を選んでいく年代別の日本代表と違い、Jリーグで結果を出せば選ばれる可能性のあるA代表は、鹿島で試合に出続けて優勝を果たせばこんな私にもチャンスがあると思いました。

結果、長い期間定着することはできませんでしたが、ザッケローニ監督のときには同世代の選手がほんの数人になっても選んでいただきました。私はどうも日本代表に行くと怪我をしてしまったり、力を発揮できなかったりしましたが、それが私なのだろうと思っています。

そういえば、私が日本代表に復帰した2008年の遠征のとき、初対面だったダイスケ(松井大輔)や闘莉王など同じ歳の選手が私に敬語で話しかけてきました。私は同じ歳であることを言い出せずに会話していたら、それを聞いていた他の選手が訂正してくれました。そのとき私たちは顔は笑っていましたが少し気まずい思いをしました(笑)。私がどれだけ同世代の選手に無名であったかを思い知らされ、逆に私はそんな彼らと同じ場所に辿り着けたことを嬉しく思いました。