私たちは2008年から4年連続でアジアチャンピオンズリーグ(ACL)に出場しました。しかし、Jリーグでの勝負強さとは裏腹に、4年連続で決勝トーナメント一回戦で敗退しました。今日はその話をしてみたいと思います。

2007年から3連覇を皮切りに、6年間国内のタイトルを取り続けていた私たちは当然、アジア制覇を目標に掲げていました。特に「史上初」と名のつくものを意識してきた鹿島アントラーズにとって、ガンバ大阪と浦和レッズに先を越されてしまったままであることは見過ごせない事実です。しかし結局、3連覇を果たした私たちも悲願を達成することはできませんでした。

よくその理由を聞かれますが、はっきりと答えられる答えはありません。個人的には、ただ単にサッカーにおける一発勝負の難しさによるものであるとしか思えません。

力は十分にあったと思います。予選はどの大会も危なげなく通過していました。決勝トーナメントでの戦いも、2008年のアデレードと2011年のFCソウルには力負けという印象でしたが、少なくとも2009年と2010年は互角以上の試合をしたと思っています。現に、相手チームは私たちを警戒し、いつもよりかなり守備的な戦いを仕掛けてきました。

理由があるとすれば、その2年は韓国のクラブと対戦しましたが、守りから入って割り切ったサッカーをしてきた韓国チームは、一発勝負においてはよりやり辛かったところがありました。予選での危なげない戦いぶりが、逆にその後の歩みを難しくしてしまったところはあったのかもしれません。ただ、それでも私たちは日本で3連覇を成し遂げたチームとして、勝ち上がらなければいけなかったと思っています。

ここ最近は鹿島アントラーズだけでなく、日本のどのクラブもACLにおいてはかなり苦しんでいます。私は近い将来にまたどこかのクラブが勝ち上がってほしいと願っています。

ただ、ACLに出場した選手は感じたことがあると思いますが、日本におけるACLの位置付けが韓国や中国、あるいはオーストラリアに比べて、少し劣っている現状があることも否定できません。これらの国では平日にも関わらず、予選からたくさんのサポーターが試合に駆けつけ、クラブもACLに出るクラブとそうでないクラブでは選手獲得に大きく差があるようです。ACLはまだヨーロッパチャンピオンズリーグほどの規模にない中で、日本のクラブがどのように今の現状を打破していくのかは意外と根深い問題なのかもしれません。

サッカーは本当にグローバルなスポーツで、ここタイにもたくさんの国から選手が集まっていて世界を結ぶスポーツであることを日々感じます。日本、アジア、世界。どんどん広がっていくスポーツで仕事ができていることに面白さとやりがいを感じます。小さいときに兄と、小さな島の小さなグラウンドで暗くなるまで2人でボールを蹴ったあの日から、私にどんどん広い世界を見せてくれたこのスポーツに私はどんな恩返しができるでしょうか。