僕が通っていた岩国高校は進学校で、6月のインターハイ予選で3年生は引退するのが通例でした。僕は、10月にある国体と11月の高校選手権予選までサッカーをしたかったので、11月までサッカーをしながら受験勉強をすることを選択しました。

僕は大学でサッカーを続けるつもりがなかったので、地元に近い大学に進学するつもりでした。しかし、以前お話ししたように、僕は国体の2日前に足を骨折しました。

そこで僕は淡い思いを抱き、実は"ダメもと"で、早稲田大学を一芸推薦で受験しています。しかし、何の実績もなかった僕は、書類で落とされ、面接試験も受けさせてもらえませんでした。

僕はどん底にいる気分でした。

国体の山口県選抜の中の一人に、同じように大学受験を控えたチームメイトがいました。その頃、その友達が「東京学芸大学」という大学を口にしていたのを思い出しました。僕はすぐに、学芸大について調べてみました。すると、教員免許を取得できること、サッカー部が関東1部であること、そして、受験科目やレベルがそれまでの志望校とあまり変わりないことが分かりました。何か運命的なものを感じた僕は急遽、志望校を変更しました。

怪我の悔しさは、僕のやる気につながりました。僕は大学でもう一度、サッカーで勝負するために、受験勉強に全力を注ぎました。

センター試験までは2ヶ月を切っていました。あまり時間がありません。僕は対策をたてました。まずは、社会と理科で高得点を取るのを諦めました。僕のセンター試験の配点は、国語、数学、英語が200点で、社会と理科は100点でした。限りある時間を国数英に費やしました。

数学は、難しい問題に取り組むよりも、公式をそのまま使うような比較的簡単な問題を何度も解いて、解き方や公式を暗記するようにしました。数学は「解こう。」と思うよりも、「解き方を暗記しよう。」と思った方が僕にはシンプルで簡単に感じました。

センター試験と二次試験は僕の人生を大きく左右しそうで緊張しましたが、なんとか無事にパスすることができました。

この怪我からの数ヶ月間は、僕の人生の大きな転機だったと思います。怪我がなければ。早稲田に受かっていれば。東京に行く決意をしなければ。全く別の人生になっていました。

あのときは「どん底」だと思っていたあの日も、今では「あの日があったから今がある。」と思っています。

僕はそれ以来、悔しいときは「この日があったからこそ今がある。」と思える日が来るまでは頑張ろうと思うようにしています。そうすれば、その悔しい思い出がいい経験になるからです。