このことを書くべきか迷っていました。今も迷っています。書くべきではないと思っています。ただ、僕の整理がつかないんです。なので勝手に書かせてください。

昨日、6月2日。僕のおばあちゃんは逝きました。お母さんの誕生日。お腹を痛めて娘を産んだその日に、お母さんの前で静かに息を引き取りました。

タイに来る決断をするとき、この日が来ることは覚悟していました。でも覚悟なんて、何の意味もなさないもののようです。僕はこの日を遠く離れたタイで迎えたことをどのように捉えたらいいのかわかりません。

明日、葬儀が行われます。僕は帰れません。明日は試合です。

4月に日本に帰ったとき、山口にも1日だけ帰りました。おばあちゃんに会うためです。そのときおばあちゃんは「当分もう帰らんでええ。」と言いました。だから、僕は帰りません。でも、おばあちゃんは本当はもっと僕に会いたかったと思います。

おばあちゃんは家が大好きで、大島から一年間ほとんど出ることがありません。僕は東京、鹿島、タイとどんどん離れてしまいました。おばあちゃんにとっては途方もなく遠く感じていたと思います。

おばあちゃんは、みかんを作ること、畑仕事をすることに生きがいを感じていました。毎朝早く起きては畑に向かっていました。

ここ数年、体を悪くしてからも、畑仕事をしたいと言っていました。何度も生死をさまよいながらも、生きる意志を持ち続けていました。僕は、妥協しない生き方をおばあちゃんからも学んでいました。

おばあちゃんは甘いものが大好きでした。どら焼き、もなか、最近のお気に入りは東京バナナでした。いつも帰郷するときはおばあちゃんに何を買って帰るか、考えるのが楽しみでした。おばあちゃんは貧乏性だから、高いお菓子はあまり好みませんでした。

おばあちゃんの最後の念願が、僕の子供でした。去年、初めて連れて帰ったとき、嬉しそうに、恐る恐る抱っこしていました。僕はおばあちゃんの分もこの子を大事にしなくてはいけません。

うちの両親は共働きだったので、学校から帰ったときに迎えてくれるのは、おじいちゃんとおばあちゃんでした。僕の記憶のおばあちゃんはそのときの笑顔のおばあちゃんです。

すみません。なぐさめてほしいんじゃありません。僕はこの日を分かってタイに来ました。やらなくはいけません。

ありがとう。おばあちゃん。ごめんね。おばあちゃん。